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「おかげさま」から気付くこと

 9月14日・15日と、南三陸町の上山八幡宮で、秋季の宵宮祭と例大祭がありました。例年であれば、宵宮祭では小さな出店とささやかな出し物をしながら、こじんまりと、でもあたたかみのある、地域をつなぐ秋のお祭りをしていました。夜になると御神楽の奉納もあり、神秘的な空気に包まれる行事でした。しかし、今年はコロナで自粛、神社の責任役員・お世話人・氏子たちが参加する神事のみの宵宮祭となりました。少し寂しさがあることは否めませんでしたが、それでも神社の工藤真弓さんが話してくださったお話がとてもあたたかくて、今年しか味わえない特別なお祀りになったんだなと教えられたので、今回はそのあたたかいお話をおすそ分けです。

□氏子と信仰

 2017年、それまでボランティアで通い続けていた南三陸町に嫁ぐことになり、ちょっと前まではなるとは思いもしていなかった町民になりました。そして、結婚して最初にしたことが、上山八幡神社を含む町内五社の氏子青年会に入ることでした。私は無宗教です。もっと言えば、母の家系はカトリックが多く、父の家系は詳しくはないですが、お寺さんにお世話になっていました。そんな私なので、神社のことも知らないことが多かったのですが、この小さな町で暮らしていくと決めたからには、神社と共にある地域文化を理解したいと思い、すでに関わっていた旦那の存在もあって、自分も関わってみたいと思ったのでした。

 無宗教という私ではありますが、宗教への関心と言いますか「宗教がある暮らし」への関心はとてもあります。なぜなら、どんな宗教でも、その宗教の信仰があり、その信仰に基づく営みがあり、暮らしがあり、そしてそれがその地域の、そこに生きる人たちの文化として織りなされていくからです。そしてそれが歴史になります。これはとても尊いことだと思うのです。

 ミサや神事や法事、さまざまな場で神さまを感じます。そして、私はどの神さまもいらっしゃっていいなと思います。それぞれの宗教でのさまざまなシーンを重ねていくたびに、私の中での「神さま」の存在感ができあがっていくのを感じました。そしてその上で、この町の神さまについてはもっと深く知りたいと思ったのでした。

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おはたあげ

 今年のお幡上げは、感染症のリスクなども考慮して、断念する話が役員さんの中でもあったようです。それでも、神さまの目印になるお幡だから上げたいという思いもあって、今年はベテランの先輩方抜きで、氏子青年会と助っ人の皆さんでなんとか上げました。いつもの倍くらいの人数だったのに、いつも倍近い時間をかけてのお幡上げ。ベテランおじいちゃんたちがいかに無駄なく、効率よくやってくださっていたのか、そして、毎年の積み重ねがいかに身体に染みついているのかを感じた敬意の湧くお幡上げでした。

 お幡上げの日は、試行錯誤してなんとか上げたお幡も、ねじれてきれいにできていなくて、いろいろ試みたものの「これ以上は難しいな」と諦めたのですが、お祀り当日になると綺麗に風になびいているではありませんか。きっと神さまが喜んでくださっているんだ、と素直に思って思わず写真を撮りました。こうやって、先輩方から受け継いだ伝統と共に、神さまと私たちの暮らしが積み重なっていくのだなとしみじみしました。

□神さま仏さまのおかげさま

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上山八幡宮

 例大祭の日は、きれいな青空にやさしい日差しの気持ちの良い晴れでした。緑に囲まれて佇む八幡宮の時代を感じる美しさは、いつも見惚れます。私はこの場所が大好きです。そして神事の時だけ入ることができるお宮の中も大好きです。例大祭の前日の宵宮祭は、しとしとと雨の降る日でした。先ほど書いたように今年は例年のお祭りも御神楽もなく静かな宵宮祭。でも、神事を終えたあとのご挨拶で、禰宜の工藤真弓さんがこんなお話をしてくださったんです。


 今年は大変な流行り病のせいで、御神楽の奉納ができず、静かな宵宮祭となりましたが、それでもこうして神事を執り行うことができて、できることをしようと一度断念しかけたお幡上げも若い皆さんのおかげさまでできて、神さまも喜ばれていることと思います。いつもなら集まっている人々の声やかかっている音楽などで賑やかなお祀りですが、今年はこの静かな中でも、神社に当たる雨音が音楽のようにも聴こえてきて、神さまが踊っていらっしゃるようなリズムにも感じました。いつもなら気付かないことも、こうしていつもと異なる状況だからこそ気づかされることがありますね。

 不思議なことに、こうしていろいろ自粛している中でも、皆さんの思いやご縁が繋がって、こうして若い青年会の人がたくさん集まってくださったり、そろそろ朽ちてきてしまって変えなければと思っていた御由緒書きを地元のアベ美装さんがとても立派にして奉納してくださりと有難いことが続いています。また、長いこと記憶を止めてしまっていたかのような神社の池も、ネイチャーセンター友の会の会長である鈴木さんが、先日いらしたときに抜け出せずにいるカエルを見つけて救出されたことがきっかけで、あっという間に知り合いの施工会社さんに声をかけてくださって、みんなで泥すくいをしてきれいな池にしてくださったんです。これはもちろん、関わってくださったみなさまのおかげさまでもあると思うのですが、神さまがどこかで見てくださっていて、神さまのおかげさまでこうして繋がっていくのかなと思っています。

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神社の池

 「おかげさま」という言葉は、神さま仏さまのかげにいる、神さまや仏さまの作られる私たちの目には見えない大きな大きなかげにいるということから「おかげさま」となったと言われています。だから、こんな大変な中ではありますが、起きる一つ一つのことに「おかげさま」を感じて、感謝して、そして皆様にも感謝して、過ごしていきたいと思います。


 また、宮司の工藤庄悦さんも、このようなお話をくださいました。


 御神楽の奉納は、震災の年もなんとか実施することができて、これまで町が大変な中でも続けてくることができました。にも関わらず、今年できないというのは、それだけこのコロナというのが恐ろしい病気なのだなと感じているところです。それと同時に、震災の年から続けてこられたのは、本当に多くの皆様に支えられてできていたことなのだと改めて感じて感謝しています。


 「おかげさま」を漢字にすると「お蔭様」「御蔭さま」など複数出てきますね。「蔭」は実は俗字で、常用漢字ではないんです。でも、漢和辞典で調べると次のように意味が異なります。(※持っていた「新明解漢和辞典」を仕様)

「陰」・・・陽の対。物のかげで、光線があたらない部分。見えない部分。

「新明解漢和辞典」より

「蔭」・・・草木のかげ。こかげ。たすけ。おかげ。父祖の功や、家がらなどで、特殊待遇を受けること。

「新明解漢和辞典」より
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「新明解漢和辞典」

 だから、神さま仏さまの「おかげさま」は、お"蔭"さまかなと、真弓さんのお話をきっかけに調べて思ったのでした。そして私も、あらゆることに「お蔭さま」を感じて過ごしてみようと思ったのでした。

□手元をよくごらんなさい

 実はその「おかげさま」のお話を聞いたこともあって、宵宮祭の後に真弓さんに聞いて見たくてご相談をしたんです。というのも、これまでほとんどなかったのに、ここ1~2か月で包丁で手を切ることが増えてしまって。特に手が不調というわけでもなく、また、いつも大事には至らないくらいの傷で絆創膏を貼る程度で済んでいるのは不幸中の幸いなのですが、宵宮祭の日も、早めに夕飯のお仕度をしていたら、手のひらを切ってしまいました。母親が大事に育ててくれたおかげさまなのか、怪我も少なく育った私には血を見ることや傷を負うことがとても怖いことで苦手なので、ちょっとの傷もとてもブルーな気持ちになってしまいます。短い期間に手ばかり怪我するのはなんでだろう、と話してみました。すると、真弓さんはまたこんな素敵なお話をしてくださいました。


 どこかを怪我したり、痛いと感じる時は、その部分に関係する何かを神さまが注意してくれているんだという話があります。頭が痛かったら、悩みすぎなんじゃないかとか、足が痛かったら、足を休めてあげましょうとか。もちろん、病気かもしれないよという合図かもしれませんけどね。手の場合はなんでしょう。でも、もしかしたら「手元をよくごらんなさい」という意味ではないかしら。遠くばかり見ていないで、手元をよくごらんなさい、と。きっと、いろんなことを悩んだり不安になったりしているかもしれないけれど、大丈夫だよ、目の前の、手の届く範囲からやっていけば大丈夫だよ、と神さまが言ってくださっているのかもしれないですよ。


 私はこのお話を聞いて涙が出ました。コロナで仕事がうまくいかなかったり、自分の思っていた生き方が変わりつつあったり、これから先どういう生活が待っているんだろうと不安でいっぱいになったり。この数ヶ月、そんな不安定な気持ちが続く毎日でした。でも、考えても手の届かないことばかりに不安になっていても、きっと良いことはないよっていうことなのかもしれないなと。大きな怪我にならずに済んでいるのは、教えてくれている神さまのお蔭さまなのかもしれません。


 すでに手の届く範囲でもいろいろとやってくれているじゃないですか。まちづくりのために会を開いたり話し合いに参加したり、地域の農業のお手伝いをしたり、こうして神社のお手伝いに来てくださったり。もちろん、お仕事や個々の問題はそれで解決しないし大変だと思うけれど、すでに目の前のできることを一生懸命やっているから、その手元のことを頑張っていれば、きっと良いことがありますよと、神さまは伝えたいのかもしれませんね。


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好きなねぎ畑

 真弓さんからあたたかいお話をいただいて、帰ってから、今年撮ったお気に入りのねぎ畑と奥に広がる田んぼの風景を見直しました。心穏やかに、手元にあることをコツコツと、これまで仕事の忙しさの中で得られなかった新たな時間や取り組みを大事に、そして、この町の自然や人、神さまたちに感謝して、おかげさまを感じて過ごすようにしようと思った今年の秋のお祀りだったのでした。



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