私は親バカには絶対にならないと思っていた。
子どもが生まれる前の私は、絶対に自分は親バカにはならないと確信していた。
「赤ちゃんが可愛い」と「可愛い赤ちゃん」は違う、と常々思っている。もちろん、赤ちゃんを見れば可愛いなあ〜とは思う。でも、それは赤ちゃんだから可愛いのであって、その子が可愛い赤ちゃんかどうかは別だ。
あの小さなフォルムやふわふわの質感は言うまでもなく可愛い。愛らしい。でも、本当の意味で可愛い赤ちゃん(例えば、おむつのCMで見るような)は、そんなに多くないように思う。
それなのに、みんな我が子のことを可愛い可愛いと言う。(赤ちゃんだから可愛い、ではなく可愛い赤ちゃん、の方の意味合いで)
これぞまさしく親バカ。
私は、たとえ自分の子であっても、もし容姿が可愛くなかったらちゃんと可愛くないと分かると思う。そんな話を、昔からよく周囲の人間にしていた。
昨年10月、ムスメが生まれた。
お七夜に私の両親が家に遊びにきてくれ、みんなで記念に写真を撮った。
お祝い用に買ったフリルがあしらわれたロンパースはぶかぶかで、ムスメの手も足も隠れてしまっている。
この大きい服を着せられている姿の可愛さはなんだろう。
人は、少し大きめのものを着ている様子を見ると可愛いと思うようにできているのだろうか。女子高生が大きめのカーディガンを着ているのも頷ける。
ちょうどふわっとあくびをする瞬間を写真に収めることができた。口元が笑っているようにも見える。
可愛い。これは、可愛い赤ちゃんだ。
その日は何十枚も写真を撮った。どのアングルも可愛くて消すことができない。
その後も、くる日もくる日もムスメの愛らしい姿を写真に収め続け、スマートフォンの容量は一瞬でいっぱいになった。
ムスメは今生後7ヶ月になり、最近だいぶ顔もハッキリしてきた。
大きくなったなあ...としみじみし、お七夜のときの写真を久しぶりに見返してみたのだが...そこに写っていたのは、ガッツ石松だった。
お世辞にも可愛い赤ちゃんとは言えない。
え。私このとき、めっちゃ可愛いって思ってなかったっけ?
後日母親に、いや写真を見返したらさ〜とこの話をすると、「うん、アンタあの日、この子は可愛い赤ちゃんだみたいなことを言っていて、私は言葉を失ったよ。」
え、私口に出して言ってたのか。
産んでみて初めて分かることは多い。親バカって、こういうことだったんだな。
ハーフバースデー?何それ。と言っていたくせに張り切ってハーフバースデーのお祝いもしたし、私は人に子どもの写真を見せびらかしたりしないと思っていたのに、可愛い写真が撮れると誰かに見て見てと言いたくなる。
うん、こういうことだったんだな。
私は冒頭につらつら書いたようなことを、昔から周囲に言い続けていたので、きっと産前の私を知る友人たちが今の私を見たら、総ツッコミすることだろう。
実際、散々ごちゃごちゃ言っていた手前、いまちょっとだけ恥ずかしいもの。
余計なことは言うもんじゃない。
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