見出し画像

パニック障害であることを打ち明けた日

はじめてその発作が起きたのは、30歳の秋だった。

そのとき、私は歯医者の椅子の上にいて、目の上にはタオルがかけられていた。そして口に器具を入れられようとした瞬間、初めて感じる恐怖が私を襲った。

突然ガバッと起き上がる私に驚く周囲の人たち。でも動悸が止まらず、呼吸も満足にできない。再び座ろうとするとまた先ほどの恐怖がよみがえり、その日は結局治療できずに帰ることになった。

「あれは一体なんだったんだろう。」

きっと体調が悪かったのだと思い、数週間後に再度歯医者を訪れたのだが、またしても先日の恐怖がフラッシュバックし、発作が起きてしまう。これは明らかにおかしいと思い病院を受診した。

診断名は「パニック障害」だった。

どうしてこんなことになったのか、本当に突然の出来事で、全く身に覚えがなかった。過度なストレスを感じていた自覚もない。それでも、パニック障害は少しずつ私の日常を支配していったのだ。

パニック障害の人の多くが「広場恐怖」というものを伴う。広場恐怖とは、逃げるに逃げられない場所で恐怖が生じることで、乗り物(新幹線や飛行機、満員電車)などが典型的な例だ。他にも、エレベーターや高速道路、行列など、その対象は多岐にわたる。

私も、はじめは歯医者だけだったのが、美容院、満員電車、地下の店…と増えていき、さらには暗い場所、狭い場所、出入り口から離れた場所(席など)でも発作が出るようになっていった。

パニック障害の発作がどういうものなのか、ピンとこない人も多いだろう。あくまで私の場合だが、発作が怒ると「このまま死んでしまうのではないか」という恐怖の波が押し寄せる。

例えるならば、狭い部屋のなかで、四方の壁がどんどんこちらに迫ってきて逃げられなくなる恐怖という感じだろうか。そして動悸、冷や汗、めまい、窒息感、からだの震えが止まらなくなる。(パニックの感覚は個人差が大きいと思います。)

パニック障害であることを、家族以外には明かさなかった。
どこかで、パニック障害である自分を恥じていたからだと思う。伝えた時の周囲の反応が怖くもあった。

友人と出かける約束をしても、もし急に発作が出てしまったらと思うと怖くなり、だんだん人と会うことを避けるようになっていた。

パニック障害になって一年ほど経った頃、それまでで一番ひどい発作を経験する。その日は、夫の実家である九州にいくために、どうしても飛行機に乗らなくてはいけなかったのだ。

安定剤を飲んでいれば大丈夫だと思っていたのだが、それでも発作は起き、登場直前に恐怖で逃げ出してしまった。

嗚咽しながら搭乗口のソファで震えていたことを今でも覚えている。それなのに、どういうわけかそのときは、それでも行かなければいけないと思ったのだ。義両親にもパニック障害のことは言っていなかったので、突然行かないとなったら不審に思われてしまう。かといって、パニック障害であることを伝えるのも嫌だった。

結果、数時間後に無理やり搭乗し、到着後嘔吐。現地では、それまでは乗れていた車さえも怖いと感じるような精神状態に。

帰りは飛行機に乗ることは不可能と判断し新幹線にしたが、やはりここでもパニックになり、岡山や大阪で途中下車しながらどうにかこうにか帰ってきた。

今思えば、最初に乗れなかったタイミングで義両親に事情を説明していればよかったのだし、そうしていたら無理に来いとは言われなかったはずだ。

夫も当然心配してくれていたが、私が「行く」と言い張った。行かなければいけない、バレたくない、という気持ちが強かった。

この九州行きをきっかけに、症状はさらに悪化し、これまで発作が出なかった空いている電車やタクシーなどでも動悸を感じるようになる。

生きづらい。

発作が出る場所を避け、バレないように家族以外の人を避けて生活していくことに限界を感じた私は、そのときにはじめて、周りにパニック障害であることを打ち明ける決心する。

ちょうどその頃、あるメディアで記事を書かせていただく機会があり、そこでパニック障害について取り上げたのだ。

自身のカミングアウトというのはもとより、「パニック障害」というものをもっとたくさんの人に知って欲しいという思いで書いた記事は、予想以上に反響があり、ニュースサイトに転載されるとみるみるうちに多数のコメントが寄せられた。

ここから数行は、実際にパニック障害の方にとっては目にしたくない文章も含まれるかもしれないので、心配な方は「*」で囲われた部分は読み飛ばして欲しい。

***

ニュースサイトに公開された日、深夜のベッドの中で一人、スマホの青い光を覗き込むようにして恐る恐るコメントを読んだ。多くは同じ障害を持った人たちからの共感の声だったが、中には、辛辣な言葉も多くあった。

「そういうやつは外に出なきゃよくねw」
「同情して欲しいだけだろ」
「まともに社会生活を送ろうとするのが間違い」

それらの言葉を見て汗がとまらなくなり、からだが震えた。やはり公表なんてすべきじゃなかったのかもしれない。隠して、誰にも知られず、ひっそりと生活をしているべきだったのかもしれないと。

きっと傷つけようとして書いたであろうその人たちの思惑通り、私はちゃんと傷ついた。

***

記事の公開と同時にSNSで知人らにも公表した。

すると信じられないことに、フォロワー(非公開アカウントなので友人知人ら200人程度)のうちの1人から「実は自分もパニック障害だ」と打ち明けられたのだ。

他にも「私の父親が」「妹が…」と次々コメントがあり、こんなに身近なところで同じ障害を持つ人がいたことに、ただただ驚いた。

カミングアウトして以来、友人たちには「パニック障害だから地下のお店は苦手なんだ。」とか「すぐに出られる手前の席に座ってもいい?」と言えるようになった。そうしているうちに、友人と出かけることへの恐怖は徐々に薄れていく。

そして美容院でも、担当の美容師さんに事情を話してケープを外してもらい(ケープの、動きを封じられる感じが怖い)、それまで諦めていたヘアカラーができるようになった。

義両親にも話した。やはりはじめて聞く障害だったようで、どこまで理解してもらえたかは分からないが、心配し、気遣ってもらっていることに心から感謝したい。

パニック障害を隠していたときは辛く、ふさぎ込んでいたが、周りの人に伝えるようになってから、驚くほど気持ちが軽くなった。

記事がニュースに掲載されて数ヶ月が経ったある日、見ず知らずの人からあるSNSでメッセージをもらう。「はじめまして。記事を拝見しました…」から始まるその文章を読んだ時の感動は、今でも忘れられない。

そのメッセージは、4年前に突然パニック障害を発症したという女性からだった。

そこには、今まで言葉にできなかったことを代弁してもらえたような気持ちになり、家族にも記事を読んでもらったこと、パニックで悩んでいる人がたくさんいると分かり、一人じゃないんだと思えたことなどが切々と綴られている。

そして、こうも書かれていた。
「あやをさんの存在自体がとても心強く、前を向いて生きていきたいと思える。」

私の書いた文章が、誰かの心をほんの少しでも軽くし、前を向くきっかけを作れたということに、心が震えた。

書いてよかった、そう心から思えた瞬間だった。

その記事を公開してもう数年がたつが、今でもときどきパニック障害の記事を読んだ方からメッセージをもらうことがある。それらのメッセージに、いつも私の方が励まされている。

私は2020年に出産し、一児の母となった。

産前からカウンセリング療法と認知行動療法を受けていたが、産後、娘の検査の立会い中に発作が出て途中退室してしまったことをきっかけに、本格的な治療を決意。

薬物療法と暴露療法を用いた治療を、もう一年半ほど続けている。

まだ完治とは言えないが、薬を飲まずに飛行機に乗れるほどにまで改善した。狭い店でなければ地下にも行けるようになったし、美容院でもクロスをできるようになった。以前に比べると大きな進歩だ。

それでも、まだまだ苦手なことは多い。でもそんなときは「ごめん!パニック障害で苦手な場所が多いからお店は私が探すね!」などと気軽に言えるのは、やはりあの日勇気を持ってカミングアウトしたからだ。

傷つきもしたが、後悔はしていない。もしあのまま誰にも言わず抱え込んでいたら、いまこんな日常を過ごすことはなかったかもしれないのだから。

パニック障害を身近な人に打ち明けるのは、勇気がいることだ。私のように、言ったことで傷つく瞬間ももしかしたらあるかもしれないから、気軽に「言った方がいいよ!」とは言えない。

でも、少なくとも私は言ってよかったと思っているし、打ち明けたことで生きやすくなった。

だからもし、過去の私のように「パニック障害だから」と普通の生活を諦めている人がいたら、勇気を出して信頼する周りの人たちに一度助けを求めてみて欲しい。

迷惑をかけてしまうこともあるかもしれないけれど、自分が思っているよりも、理解しようとしてくれる人はたくさんいることを、私は身を以て知ったから。それに周囲に理解してくれる人が増えればフ増えるほど、私たちパニック障害の人が「できること」も増えていくと思う。

そして、もし一人で悩んでいる人がいたら、一人じゃないよと伝えたい。同じ悩みを抱えている人はたくさんいる、ここにもいる(私)。そして私は今、パニック障害でも楽しく毎日を過ごしているのだから。


この記事がまた、どこかの誰かの心を、ほんの少し軽くすることを願っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?