プライドは守るべき?捨てるべき?


プライド
〘名〙 (pride) 自分の才能や個性、また、業績などに自信を持ち、他の人によって、自分の優越性・能力が正当に評価されることを求める気持。また、そのために品位ある態度をくずすまいとすること。誇り。自尊心。自負心。矜持(きょうじ)。

 精選版 日本国語大辞典精選版

私はプライドが高い人間だ。
プライドという言葉の定義を見る限り、これがあるのは人間として良いことに思える。しかしプライドが高い故に、失敗や不名誉な結果を恐れて行動を萎縮してしまうことがある。夢を叶えるための大きな鍵となるはずだった一歩を、踏み出せないかもしれない。見下されないことばかり考え、上から目線な発言をしてしまったことがある。人に冷たく振る舞ってしまっていたかもしれない。

ほんとうにもったいない。

そこでまずはプライドと気品を両立させようと思う。
自分を卑下する必要はない。申し訳なさそうに振る舞うと下に見られるのは事実なのだから。対等であるように振る舞うのがベストな気がする。丁寧な語尾や言葉選び、クッション言葉を意識することで気品は保たれるし、失言も概ね回避できるだろう。

文面でのやり取りの場合、文章は送る前にいくらでも推敲できるけれど、実際の会話ではそうはいかない。発話する前にいちいち推敲していたら、コミュニケーションがスムーズとは言えないからだ。だから、日頃から「より丁寧な言葉」を使うよう心がけたい。

ここでもう一つ問題点が出てくる。「全肯定botになる恐れ」だ。丁寧で対等なコミュニケーションを追求しすぎると、相手の言うことを全て肯定しておけばいいという短絡的な思考に陥る危険がある。「そういうこともあるよね」「まあ仕方ないよね」など、便利すぎるフレーズを私は多用というか乱用してしまう。こういった言葉は相手を持ち上げ、円滑なコミュニケーションにつながる。しかしそれは薄っぺらい関係を望んでいる場合にのみ有効だということに気がついた。深い関係を望む場合は全肯定ではなく意見をぶつけ合わなければいけないし、現実的な策を考えなければいけない。なんともあざといこの口癖は早急に治す必要がありそうだ。

次に、プライドと勇気を両立させようと思う。せっかくの自信〔プライド〕が夢を叶えるルートの障害になっては元も子もない。恥をかくことを恐れる前に行動しなければならない。

勇気は一瞬、後悔は一生
いつかやろうは馬鹿野郎
「めんどくさい」という名の敵
行動するための勇気をくれる名言を座右に置きつつ、
「今日から行きます。ガツ、ガツと。」(これもドラマの好きなセリフ)

ただ、人間関係においては note 執筆と違って ctrl+z が効かない。
不快な思いをさせてしまえば機嫌を取り戻すのに余計に時間がかかるし、全くの手詰まりという状況も存在する。だから慎重にやらなければいけない。

それでいて時間制限もあるのだから、なんという無理ゲーだろう。達成時期が遅れるにつれ、色々とペナルティがつくように思えて仕方がない。
けれども、そんな愚痴を吐く暇があれば行動しよう。
とある元同級生は、「人間関係は自分でどうにもできないことだから、成り行きに任せるのが一番だ」と言っていた。確かにそれも一理あるけれど、私はこの考えには賛同できない。人間関係において「誰と一緒にいたいか」の自我は譲れない。譲らない。そこもまたプライドが高いせいなのかもしれない。

話が脱線してしまった。今回の記事で自戒したい点をまとめるとこうだ。
・恥や失敗を恐れる前に行動すべし
・上品かつ対等に振る舞えば恥のリスクは最小限
・人間関係においては慎重に
・本気ならば相応の行動をすべし

プライドを捨てながら守ることは可能であると私は結論する。

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