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意見の違いが生むもの 続編

前回書いた「ルールがあっても雰囲気があっても、お互いの価値観を出し合うことができないのはなぜか?」という問いの続きから書こうと思う。
https://note.mu/wriezo/n/nb852ae19d8a7

「ルールがあっても雰囲気があっても、お互いの価値観を出せないのは、相手のネガティブな反応を想像してしまうから

例えば、私がオフィスの掃除を毎日交代でやりたいと提案したいとする。
「掃除をしなくてもいいのでは?」
「掃除は業者に頼めば?」
とかいう反応が返ってきそうだと考える。その時点で言いたくないな、という気持ちが生まれ、引っ込めてしまう。

引っ込めなかったとしても、それらに対して、
「掃除が行き届いてない職場の生産性は落ちるというエビデンスがある」
「掃除を業者に頼む予算がない」
という反論を用意して、提案したとする。
こういう反論を用意してもイマイチ納得感が得られないという体験、あるのではないだろうか。

どうして、納得感が得られないのか?さらに考えてみたい。

まず、価値観とは何か?

「物事の価値についての、個人(または、世代・社会)の(基本的な)考え方。

辞書的な意味だと、価値についての考え方となる。 では、価値とは何か?

どれくらい大切か、またどれくらい役に立つかという程度。またその大切さ。ねうち。

価値は「大切さ」や「役立ち」の程度だとすると、その程度を決めているものは、個人であればその人自身である。

・なぜ、それが大切なのか?
・なぜ、それが役に立つのか?

さらに、この価値を考えた人が、『なぜこう考えたのか?』にヒントがありそうだ。

先程のオフィスの掃除の話で反論として出した
「掃除が行き届いてない職場の生産性は落ちるというエビデンスがある」
「掃除を業者に頼む予算がない」
というのが「なぜこう考えたのか?」にあたる。
これらが理由としてあがると、ロジックとしては至極真っ当なので従わざる得ない。ノーと言いにくい。

一方、
「綺麗なオフィスで仕事をしたい」
「掃除をすると落ち着く」
と言った話をしてみると、全員が賛同はしないが、「あの人は掃除をすると落ち着くんだね」「私は違うけど」という感じで、ノーが言いやすくなる。

ビジネスの世界では、ノーが言いやすいのは、イコールツッコミどころがあって、ロジックとして固まってない、とタブー視されているが、どうも納得感を得るということを主眼に置くと、そうでもなさそうである。

つまり、納得感を得るには「あの人はこうなんだね」「私は違うけど」が認識でき、ノーが言いやすいことが非常に大切であるのではないか?

次回に続く。

#ティール組織 #なぜこの人はわかってくれないのか #チームビルディング #組織開発


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