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君がいなくなっても世界は変わらない

ちょっと古いかもしれないけど、やっぱり「君と僕」って関係づけがしっくりくる。いいよ、しょうがないよ、こういう生き物だから。


1.変わらない

 君がいなくなっても世界は変わらない。
 蟻より小さな僕を取り巻くこの世界全体が、何事もなく日常を送るのは言うまでもなく。
 僕を中心とする半径1メートルの世界もやはり、結局は変わらない。
 どれだけ憔悴していても、呆然としていても、吐きそうに胃が痛くても、泣きじゃくっても、24時間もすれば「なにか食べなければ」ともうひとりの僕が囁く。食べなければ。倒れたりしちゃいけない。そして実際、軽いものなら喉を通る。なんだ、大丈夫じゃん。
 10日もすればチョコザップにだって行けちゃうし、こんな文章を冷静(自認)に書けちゃう。お金の振込や引き落としの心配だってする。いたって日常だ。

2.終わらない

 君がいなくなっても世界は終わらない。
 僕は君を失うことを何より恐れていた。あまりにも君が好きで、大好きで、君といる時間が幸せ過ぎて。君を失ったら生きていられないと思った。世界が終わると思った。きっと後追いしたくなると思った。
 だから、万が一を想定して「現世に引き留めるもの」をいくつか用意した。それはほぼ想定どおりに機能し、なおかつ、僕自身も想定していなかった現象が起きた。結果として、君を失った僕が考えたことは「後追い」ではなく、「生き続けること」だった。

3.くれたもの

 君がうちに来てから、僕に起きた変化を教えようか?
 まず、朝は早く起きる。だって君が起こすから。早く起きると夜は眠くなる。完全に昼夜逆転していた強固なライフスタイルが崩れたよ。起きたらまず、君のゴハンを用意して水を替える。そして、猫草に水をやる。それから自分のことをやる。そんなルーティンが確立した。
 タバコは辞めたよ。だって君、ちっとも煙を嫌がらないんだもの。副流煙を吸わされてもお構いなし。自分の被毛に付いてもお構いなし。そして、その体を君はペロペロと毛づくろい――ダメだろ、それ。人間が癌になるのは自業自得だけど、猫がなったらとばっちりだ。だから、やめた。
 あと、メンタルにもよいことがあって、愛することに躊躇がなくなった。共依存を起こしやすい僕は、人間を愛するのがちょっと怖い。いや、かなり怖い。今まで失敗しまくってるし。でも、君が相手なら、僕は300%の愛情を注いでも大丈夫だ。君は猫で僕は飼い主。愛が足りないと怒られることはあっても、愛しすぎだと怒られることはない。最高。
 そんな生活に、希死念慮が入り込む余地なんてないよね。前向きな自殺願望ではなく、もっと消極的な「消えてなくなりたい」って欲求は、僕の深層に巣食っていて消せないモノなんだけど、それすら失せてしまった。少なくとも表面上はそう見えた。だって、僕は君を生かすために生きていなくちゃいけないから!
 もっと生活に根差したポイントを挙げようか? 君が来たおかげでもっと稼ぐ必要ができたから、僕はバイトすることにした。今日び、原稿料は安いのが当たり前だけど、実質時給が100円や200円になってもロクに交渉すらできないボンクラが僕だ。だから、本業に力を入れるより、僕にできそうな副業を見つけるほうが得策だと思った。その判断は大当たりだったよね。体力的にはきついけど、よい人に囲まれ、働いた時間に応じて相応の時給をきちんと払ってくれる仕事にありつけた。「朝9時前に出勤して、一度も遅刻せずにきちんと昼間の仕事をこなす」だなんて、生まれて初めての経験だよ!! 朝起きられない、それどころか午後からの仕事すら遅刻を繰り返すことで、今までどれだけ信用を失い、人と遠ざかってきたことか。普通の人にできることができないせいで、どれだけの敗北感を味わってきたことか。でも、もう劣等感を抱かなくていい。それがたとえ週1~2だったとしても、僕は、ちゃんと、普通の人と同じように働けている!!
 それから、日中のバイトができるようになったおかげで、僕は少しだけ「抵抗する」ことを覚えた。本業のギャラの時給をせめて実質1000円くらいにしたい。要領が悪くてうまくいかなくても、せめて500円を切らないようにしたい。そのためには、安い仕事は断るか交渉するかしなきゃいけない。ぶっちゃけ死ぬほど苦手な作業だ。黙ってハイハイとよい顔しているのが一番楽なんだから。でもそれじゃダメだ、働けば働くほど赤字になってしまう。せっかくバイトで儲けても本業で赤字では意味がない。………………。仕事の人間関係は再編されちゃったけど、そこはもう諦めるしかない。僕の収入はもう僕だけのものではない。君を養うための資金や、君の将来に備える貯金が必要なのだ。だから、毎月積み立て貯金をしている。僕、偉いよね。
 ここまで書いて、本当に真人間になったよなと思う。「普通」になれずにフリーランスのライターなんぞをやっている身としては、きちんと朝型になって、朝出勤の日中バイトができて、自分の仕事では下手クソながらちょっとだけ交渉ができるなんて、もう、超がつくほどの真人間じゃん!! すげぇよ俺!!

4.最後の言葉

 君との最後のお別れのとき、真っ先に浮かんだのがこのことだった。何年も君と暮らすうちにすっかり忘れていたけれど、最後の最後に思い出した。
「僕を真人間にしてくれてありがとう。うちに来てくれてありがとう。これからもちゃんとするから!」
 そう心の中で叫んで、君の手を離した。そのまま君は火葬炉の中へ運ばれていった。
 君はなんのためにうちに来たんだろう? 僕を真人間にするため? 僕に生きがいを与えるため? 僕に何かを愛する喜びを教えるため?

 僕を――世界に置いておくため?

 君はこんなにもたくさんのものを僕に与え、そして、あっという間に駆け抜けて去ってしまった。長生きな猫なら20年生きるのに、たったの7年半。
 今、僕が抜け殻になって、何もかも放棄して、ただのアホな肉塊になったら……、君はいったい何のためにうちに来たのか。
 まじめな話、そう思ったんだよ。抜け殻になりたいし、何も考えずにただ泣いて過ごしたい。でも、それじゃ、君との最後の約束――とっさに思いついただけだけど――を破ることになっちゃうじゃんね?
 そんなことを考えながら、今日も僕は不完全な日常を送っている。拭えない喪失感を全身に着こんで、ときどきボンヤリしながら、ときどき失敗しながら、ときどき涙をにじませながら。

5.変われない

 君がいなくなっても世界は変わらない。なぜなら、君と出会ったときに変わっているから。すでに変容した世界は、君が去っても僕を生かす。そんなの嫌だと駄々をこねても、容赦なく僕を活かす。

 まだ君に「さよなら」が言えない。それでも僕は、仕方ないから生きていくよ。嫌だけど。

どうぞお気になさらずです。