東海道四谷怪談(映画)
1959年公開の「東海道四谷怪談」は、日本人なら誰もがしっている同名の怪談を元にした映画だ。
とは言っても当時の時点で既に何度も映画化されていて、元が元だけにメディアミックスも多く、派生作品まで含めるとかなりの作品数になる。
バリエーションも多いので、正直なところどれが最も原作に忠実なのか僕は知らない。
ただ、この1959年公開の「東海道四谷怪談」がとても素晴らしい作品だということは知っている。
ホラー映画、とりわけ邦画ホラーは特に怪奇現象や心霊現象といったテーマであることが多く、洋画ホラーにクリーチャー系が多いことと比べて国民性を感じていた。
日本にも妖怪というクリーチャーがいるにも関わらず、それよりも心理的な恐怖を怖いものとして挙げるのは面白い。
そのルーツにあるものが「四谷怪談」に詰まっていると思っていて、そしてその映像化で最も高く評価されているのがこの「東海道四谷怪談」である。
あらすじは今更説明するまでもあるまい。
前述の通りバリエーションに富んでしまった作品なので、どこかで聞いた記憶とは細部に違いはあるものの、大凡の流れは変わらない。
むしろ主役であるお岩さん以外の人物像がクッキリしていて、むしろ記憶よりもより鮮明に映った。
お岩さんの陰惨な最期には痛いほど無念に思ったし、その怨みにも相応の説得力を感じた。
しかし、僕が一番印象に残ったのは、怨みを晴らし、成仏していくお岩さんのその表情と佇まいである。
その顔は、これまで観てきた映画で一番「美しい」と思った。
決して喜ぶでもなく、満足するでも安堵するでもなく、憎しみから解放された顔である。
そして、それでもやはりどこか無念を残した、そんな絶妙な顔だった。
あまりに吸い込まれるように見とれてしまい、僕の方が放心してしまった。
これが演技だというのなら、極致でなければ困る。
クライマックスでの復讐シーンは、演出にも注目して欲しい。
当然ながらこの時代はまだCGなんて大層なものはなく、「ゴジラ」が特撮で世界を切り開いて数年という頃である。
にも関わらず、次から次へとからくり仕掛けのように畳み掛ける様は見応えがあるし、仏壇の遠のくシーンやお岩さんが成仏するラストシーンは、当時の技術と知恵の結集だと思う。
と、大袈裟に言ったが、この年代の邦画はそれこそ「ゴジラ」くらいしか履修していないので、意外とそうでなかったりするのかなと思ったりもする。
しかし、兎にも角にも演出面はまさに迫真というもので、そして音楽が与える雰囲気というものも「こういうことか」と思うほど臨場感がある。
冒頭の話に戻るが、凶行の被害を受ける無念というものは万国共通だろうし、復讐心もまた同様だろう。
では何故それが死んで尚呪う祟る化けて出るという形までして遂げようとするのか、その気持ちを理解こそすれど、この仇なす者は絶対許さんという意識こそが日本の国民性の恐ろしさでもある気がしている。
差別とはまた違った、強い迫害の意識である。
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