バスでバトンを(空脳)

先日バスで通勤するとき、いつものように1番前の席に座った。早く降りたいし、ここの席はタイヤの上に位置するので座面が高い位置にあり、2段くらいのステップを登って座らなくてはならない。なかなか苦労するため年配の方からは避けられる傾向にあっていつも空いている。
本日も運転席の真後ろが空いていたので、いつものようにヨイショとのステップを登って、なんの気無しに座ったら目の前の仕切りの向こうにある運転席から手が伸びてきた。リレーのバトンを求める第2走者のような向きで不器用に差し出された手のひらを「へ?」という思想的語彙力のない目で見つめたそのとき、お尻に何かしらの違和感を感じた。ふと自分のお尻と座面と背もたれの三角地帯を振り返ると、そこに30cmくらいの水筒があった。銀色のステンレス無塗装で随分愛用されている雰囲気をパッと見たその瞬間にその表面の傷と凹凸から感じられるような、そんな水筒。
瞬時にそれを伸ばされたその手に、まさにバトンのように渡すと運転手はそれを運賃箱の横に無造作に置かれたトートバッグに入れてバスを発車させた。

このやり取りの中、運転手とわたしは一切言葉を交わしていない。というのも、わたしはイヤホンで音楽を聴いており、もしかしたら「すみません、そこにある水筒を取ってもらえますか?」「ありがとうございます。乗務中は運転席から出られませんので座ったままで失礼しました」という言葉が、もしかしたら彼から発せられたのかもしれない。だが、それはわたしには届かなかったし、バスを降りる際も「先ほどはありがとうございました」という言葉もないままだった。
ここからが話の本題だ。

わたしは先程、お尻のあたりに違和感を感じて水筒を発見したと言ったが、実はその様な違和感を感じていなかったような気がするのだ。
イヤホンで音楽を聴いていて、彼の言葉を受け取れない状態にあったわたしは、向けられた裏返しの手のひらから「そこにある水筒取ってくれる?」という言葉を脳で受信し、その反応としてお尻のあたりを確認したような気もするのだ。少なくとも正直にいうとお尻で感じたはずの違和感の記憶が全くない。わたしは向けられた手のひらからの依頼で水筒を取ってあげたような気がするのだ。

これって空脳ですか?

なぜそこに彼の水筒があったのかはまったく謎です。

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