口約束

幼い頃は口約束を信用していた。携帯がなくても、ランドセルを置いたらここ集合ね!と言っただけでみんな集まるし、土曜は〇〇時に〇〇の前で待ち合わせしようと言ったら集まるし、口約束の力は強かった。しかしこれは、子どもと子どもがかわす口約束だからである。

大人が子どもにする口約束は大体嘘だった。テストで100点取ったら焼肉に行こう、今度きた時にそのおもちゃを買ってあげる、毎日お手伝いしたらスマホをプレゼントする、など大人は子どもを騙すような口約束をよくしていた。今考えれば正式に契約書を作成して印鑑を押させればよかった。

私も大人になり、大人と大人の口約束になると余計信用ができないものになり、口約束の力は薄れていった。それを実感するのが友情と恋愛だ。

例えば友達間での口約束のあるあるは、テスト前のノー勉、長距離走の一緒に走ろうね、が挙げられる。大体勉強しているし、大体先に走ってしまう。これはまだ可愛い口約束だ。

恋愛での口約束になると、全く可愛くなくなる。ずっと一緒にいようね、結婚しようね、なんて言うのに浮気をしたり浮気まがいなことをしたり、人間は愚かだ。恋愛での口約束は絶対に信用しないほうがいい。あくまで雰囲気作り、恋愛をしている自分たちに酔っている、そのような意識を忘れないようにしなければ、裏切り行為に対しての怒りが収まらなくなってしまう。

私も約束できない口約束をする側の人間になってきていると実感している。口約束なんて所詮口約束だなんて考えてしまっている。小学生の頃は金曜日の学校の帰り道にした口約束だけで土曜日も日曜日も遅刻者ゼロで集合できたというのに。

今一度、口約束の重みを理解したい。たかが口約束と思うか、大切な口約束だと思うか、それだけで意識が変わる。ハンコを押さなくても私たちは自分が発する言葉、約束に責任を持つべきだ。口約束で証拠がないからと逃げを作らないようにしたい。

幼い頃よりも言葉の重みを感じなくなっているような気がする。好きも愛してるも簡単に言っていいものだと考えていなかった。本当に好きな人やもの、本当に愛した人やものにのみ使っていい言葉だと認識していたのに、今では投げるように使っている。

言葉の重みを再度理解することが口約束の力を強くすることに繋がるかもしれない。スマホがなくても約束が守れた時代に、あの頃のように戻りたい。

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