愛を注ぐ

真実の愛を注いでくれるはずの両親にさえ裏切られた私が、血縁関係のない他人からの愛を信じられるわけがない。

親からの愛を神格化しすぎているのかもしれない。母と父からは無性の愛を貰えるのだと、それが絶対なのだと、それさえも間違いなのだろうか。

交際相手にどれだけ愛の言葉を囁かれたとしても、どれだけ行動に表し時間とお金を費やしてくれたとしても、その愛を真実なのだと受け入れ信じることができない。

親でさえ私への愛が途絶えてしまったのに?
赤の他人である貴方がなぜ私を愛せる?

次々とその愛情への疑問が湧いてくる。

いつか枯れてしまう花よりも、永遠に美しく咲き誇ってくれる造花の方が信用できる。匂いなんてどうにか付け足したらいい。造花は偽物ではない。本物の造花だ。枯れることの方が恐ろしい。

いつかなくなってしまうその愛を、その愛に、依存して、裏切られることが怖い。

両親が顔を合わせて笑っている姿、私を見て愛おしそうな表情を浮かべている姿、おやすみの後に必ず宝物だよと抱きしめてくれた夜、全てなくなってしまった。永遠だと信じていた。いや、永遠だと信じるまでもなく当たり前だった。

誰かから注がれる愛情を当たり前だと思ってはいけない。私はそう学んだ。当たり前だと思わないという気持ちが高まるにつれて、他人からの愛を信用できなくなっていた。


愛を信じる必要はあるのか。

もしかしたらないのかもしれない。

愛なんて、重くないのだ。
愛なんて、所詮愛でしかない。
愛なんて、存在するのかどうかもわからない。

私が幼い頃に知った、愛だと思っていた何かは、本当に愛だったのかどうかわからない。ただ、愛だと信じたい、一瞬でも両親が私を愛していたのだと世界で1番守りたい存在だったのだと信じたい。

裏切られることを、途絶えてしまうことを恐れて、他人からの愛情を疑い、拒絶してきた。

私はこれからも、きっと、変わらない。変われない。

他人からの愛が信じられないのなら、自分だけは自分のことを永遠に愛していたい。自分が他人に注いでいる愛も信用したい。私は誰も裏切らず、愛情を注いだ相手と永遠を誓い信じ合いたい。

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