POOLのちょっとだけウンチク 第20回PLASTICS『TOP SECRET MAN』
今回のアーティストはDJとして、歌手として、着物スタイリストとして活躍するマドモアゼル・ユリアさん。ユリアさんのとっておきはPLASTICSの『TOP SECRET MAN』。プラスティックス!ユリアさんの年代でプラスティックスが出てくるとは、やはりPOOLは面白い。若い人が、YMOは知っていてもプラスティックスまで知っている人は少ないだろうな。このプラスティックス70年代後半から80年代の音楽カルチャーを語るうえで、とても重要なテクノポップバンドだ。
結成当初プラスティックスは才能のあるセンスの良い遊び人が集まって、ライブハウスで当時の最先端の洋楽を演奏するバンドだった。ヴェルベット・アンダーグランド、ロキシー・ミュージック、ピストルズなどのカヴァーで盛り上がる単なる素人のバンドに過ぎなかった。グラフフィックデザイナーの立花ハジメ、イラストレーターの中西俊夫、ファッションスタイリストの佐藤チカというアートの世界で活躍する3人が繰り出す欧米の最先端のサウンドを、センスの良い都会人たちが面白がり、アンダーグランドな人気を得ていた。
そんなある日、立花ハジメは、初めてのアメリカ旅行でディーヴォのステージを観て衝撃を受ける。洗濯機をライブハウスに持ち込み、そのノイズとテクノやパンクを融合させたアヴァンギャルドなパフォーマンスを目の当たりにして圧倒されたのだ。打ちのめされた立花は、そこからプラスティックスの新たなプランを構想する。そのコンセプトを実現するプロフッショナルとして佐久間正英に白羽の矢が立った。
佐久間正英は日本の伝説的なプログレバンド、四人囃子のベーシストであり、後にBOØWY 、ブルーハーツ、GLAY、エレカシなど名だたるバンドを育て上げた名プロデュサーである。その佐久間がメンバー兼サウンドプロデューサーという立場で参加、さらに佐久間の友人の作詞家の島武実がリズムボックス担当として加わって、プラスティクスは先鋭的なプロのバンドに変貌する。そして、彼らは日本よりもイギリスやアメリカで注目を浴びることとなった。
1979年、イギリスのインディーレーベルからデビューを果たすと、1980年にはアンリカツアーを敢行。B-52‘sやラモーンズ、トーキングヘッズと共演し、話題をさらった。さあ、これから、という1981年に突如解散してしまう。立花ハジメと中西俊夫の間で進みたい方向が真逆になってしまったのである。アメリカツーの最中にサックスを衝動買いした立花は、立花はジャズ、クラシックに興味が向かい、中西俊夫はエスニックな民族楽器をつかった新たなファンクを模索したがった。とはいえ、普通ならプラスティクスに未練も残るだろう。しかし、あっさりと解散の道を選んだところが彼ららしい。
プラスティクス都会的なバンドだった。シニカルで、ユーモアがあり、どこか冷めている。わかる人が判ればいいという距離感。その感覚がニューヨークやロンドンの音楽ファンに支持された理由なんだろうと思う。もちろん日本にも彼らをフォローするアーティストたちは多い。小西康陽のピチカートファイブ、ポリシックス最近ではperfumeやきゃりーぱみゅぱみゅを手掛けた中田ヤスタカ。いずれも海外公演でも認められている。もちろん、マドモアゼル・ユリアさんもその一人。
それにしても、当時の音楽的文化人のレベルは極めて高かった。YMOがいたし、サディステイックミカバンドもいた。そしてそのバンドメンバー一人一人もソロとして世界への道を切り拓いてきた。そう日本の音楽の道は世界に続いているはずだ。次の世代で世界が注目するようなアーティストが誕生する日も近いのだろうか。
(文・吉田雄生・WOWOW MUSIC//POOL企画・構成担当)
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