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【論語と算盤】#4 士魂商才

第1章 処世と信条から

士魂商才しこんしょうさい」というのも同じような意味で、人の世の中で自立していくためには武士のような精神が必要であることはいうまでもない。しかし武士のような精神ばかりに偏って「商才」がなければ、経済の上からも自滅を招くようになる。だから「士魂」とともに「商才」がなければならない。

この士魂商才という言葉は、藤原道真公が「和魂漢才わこんかんさい」という言葉を言われたことに由良しますが、日本古来の大和魂を持ちつつ、「才」の部分の学問については一日の長があった中国に学ぶのが良いということを述べた言葉のようです。

そして、明治に入って、日本は「士魂洋才しこんようさい」という武士の魂に西洋の文化に変わり、渋沢さんは、「士魂商才しこんしょうさい」が大事だと言われ、武士の魂にビジネスを融合すること。

では、現代はどうかというと、日本は「洋魂洋才ようこんようさい」に向かっており、この100年の間に日本人のアイデンティティは消滅しつつあるのではないかと感じています。

海外に仕事で行って思うのですが、日本人は欧米人に妙に迎合したり、卑屈になっている人が多いと思うのです。対等というより、今の言葉で言えば、マウントを自ら放棄している感じを受けるのです。しかし、プライドはあるのでそのような状態になっていることは知られないように会話をするわけですが。。。

その理由は、欧米の人達の方が自分自身の考え方を持っているのに対し、日本人は自らの価値観や考え方を持っていないため日本に学ぶのではなく、外国の人の考え方に学んで取り込もうとしているからだと思うのです。

これは一見、謙虚に学ぶことを実践している素晴らしい態度に見えます。しかし、思想・哲学に免疫が無いため見るもの聞くものが新鮮に写るため鵜呑みになってしまう危険性があるのです。

私はそのような現象を見て困ったものだと頭を抱えていました。

つまり、士魂的な精神や思想・哲学を日本で学び海外に出ていけばそのような現象になりづらいのですが、思想・哲学、自分としての価値観をきちんと持たずに海外に出向いてしまうために起こっている現象ではないかと考えています。

半年間、米国・シアトルの最先端企業に毎月指導に行っていたときのことを思い出すと、確かに彼らは「洋才」は秀でていました。しかし「士魂」とは言わないまでもこちらがきちんとした日本的な思想・哲学を持っていたので一目を置いてくれていたのです。

それは、なぜか?

海外でもインテリジェンスの高い人は、日本人の精神を学ぼうとしている人もいて彼らはそこを評価してくれたりするわけです。

2019年3月に「Lean Summit in Texas 2019」に出席しましたが、この会場に来ている人の方がよほど現代の日本人より日本人的な価値観を持っており衝撃を覚えたことを思い出します。

下記の映画は三船敏郎さんが主役で当時の世界のスターが共演しているのですが、この映画は日本人のアイデンティティが特徴的に出ていて面白いです。黒澤明監督が三船敏郎さんじゃないと撮影しないと言わせただけあって本物の侍とはこういう人間性を持った人物だったんだろうなと彷彿とさせるところがありますね。

この映画は本当の士魂ですが、渋沢さんや長州の松下村塾を出た伊藤博文のように現代人も論語をきちんと学んで海外に留学すれば現代日本も「洋魂洋才」から「士魂洋才」に戻ることができると思うのです。

欧米に「洋才」を学ぶのは良いとしても、自分のアイデンティティを西洋から学ぼうとするから「洋魂洋才」になってしまうのかもしれません。

近年の歴史を見ても、白洲次郎さんのようにケンブリッジに留学しますが、彼は常に日本人としてのアイデンティティを忘れていなかったと言われています。なのでマッカーサとも対等に話が出来たのでしょう。

グローバルで活躍する人材に本当に必要な武器とは何なのでしょう?


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