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都会に海をつくりたい

海になりたい、と思うようになったのはいつからだろう。


そもそも本当の意味で私が海に出会ったのは、今でも忘れない、2020年12月24日。
大学1年生のクリスマスイブだった。


波の揺らぎを見つめる。
自分を包み込む音に身を委ねる。
低く、遠く、大きく、近く、時間は流れていく。

それはずっと繰り返されているようで、二度と同じものはない景色をつくりだす。

東京生まれ東京育ちの私にとっては、あまりにも広大な空。
刻一刻という表現がこれほどふさわしい対象はいるのだろうか、と思わせてくれるほど、次第に色が移りゆく。

ふとすると、人の声が聞こえてくる。
私は靴を履いているけれど、両足は地面としっかり着き、私は大地を踏みしめているのだと気づく。

あの日から、大事なことはいつも海に教わったような気がしている。

一度きりの生を受けているという尊さ。
自分という存在の小ささ。
数え切れないほどの人と対峙してきたであろう海の偉大さ。

ずっと、想像できないほど遥か昔から海はここにいるのだと思うと、頭がくらくらする。

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私がこれまで出会ってきた多くの哲学者や社会学者、執筆活動を行う方が、「深く考える」こと、あるいは「話を聴く」ことを、「海に潜る」と表現する。

これはただの偶然ではないのだろうな、と思う。


海の中は暗くて、息ができなくて、苦しくて、何より孤独だ。


でも同時に、海は、どこかで本能的に私たち人間に繋がっている。

深く考えること、あるいは話を聴くことは、そもそも孤独な存在である人間が、人と本質的に繋がるための手段なのではないだろうか。


だから海に潜って、限りなく孤独になることで、他の孤独と結びつく。

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海のそばにいると、いつどんなときも呼吸がしやすい。
海に潜ると、人と繋がっている感覚が得られる。

人間は本来孤独な存在であると気づき、孤独であろうと思え、同じ孤独を抱える人類そのものを愛そうと思える。

私たちは「ただそこに在る」だけで良いのではないかと思わせてくれる。


私は、そんな海になりたい。
私は、そんな海のような場所を都会につくりたい。


もう少し具体的なイメージが描けるように、日々を重ねたい。

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