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劇場版 SHIROBAKOを見ました

毎日投稿をする上で、どれだけ生活リズムが終わっていても日付が変わる前に投稿することを心がけていたのですが、通信制限で回線が激重なせいで昨日の記事が2分オーバー。
noteさんに◯◯日連続の投稿おめでとうございます!凄いですね!と褒められることはなくなってしまいました。かなしい。
一回切れるとどうでもよくなる節があるので、0時超えの投稿も増えると思います。

さて本題。
劇場版SHIROBAKOを見てきました。
アニメシリーズを見たのはリアタイちょい後の随分前で、面白い良いアニメだったという記憶のみ。
かなり忘れていたので直前にアニメ終盤を再履修して臨みました。

入場で貰える5種類の色紙はムサニの先輩三人組でした。矢野さんかわいい。
矢野さん推しの友人に強奪されかけましたが、映画でほとんど出番のない太郎と平岡の色紙もあるんやぞと教えると黙りました。
どこに需要あるんですかねそのパターンの色紙...


これはただのオタクです。

僕は劇場アニメを見にいくときに、これは果たして映画館で見る必要があるのかというところを考えるんですけれど、正直SHIROBAKOの映画はあとで家で見ればいいかなって思ってました。
が、公開初日に観にいくことに。
これは初日に観て記事書けば伸びるかな〜〜〜って思って行ったわけではなく、普通に友達が初日に行きたいって言ってたからですね。本当ですよ。
友達に誘われなかったら映画館まではいってなかったと思います。

先に評価を言います。期待値をそこそこ上回る良い映画でした。見る価値アリです。
特にテレビアニメが好きだった人は間違いなく楽しめるし、水島努監督が好きな人にもドンピシャ。劇場に観にいくことをおすすめします。

以下感想。ネタバレ注意です。







最終話で続編の伏線を残して終わったアニメシリーズ。
てっきりそれが劇場版の内容になるか、アニメでは少ししか進まなかったみゃーもり五人達メインの話になるのかな〜と話していたら、まさかのどちらでもなくすっ飛ばしていきなり四年後。

四年後のムサニは最終話とは打って変わってすっかり寂れており、見覚えのある顔が数名いるだけでかつてのメンバーはほとんどいません。
第三飛行少女隊後に作ったムサニのオリジナルアニメがトラブルでボツになり、そこから仕事は入らなくなってはスタッフが離れて行ったと話す現ムサニスタッフ達。
スタッフがいなければ作品も作れないわけで、最終話の賑わいは消えて無くなってしまいました。
すっかり落ちぶれた武蔵野アニメーション。
アニメがあれだけ明るい終わり方でしたから、いきなり沈んだ雰囲気から始まるのは驚きました。

そこへ劇場オリジナルアニメの話が舞い込んできて、かつてのスタッフ達を集めてなんとか完成させよう!というのが大筋の流れです。
まさに劇場アニメを作る劇場アニメでした。
SHIROBAKOならではであり斬新なお話。こういうことやってくるだろうな〜とは思ってました。

しかし序盤・中盤と見ていると、僕は激しい既視感を感じました。

あれこれガルパン映画じゃね?

アニメハッピーエンド→やっぱダメです→どうしよう→仲間が集まって一緒に頑張ろう→なんとか解決

ガルパン映画じゃね?

展開自体はまんま一緒のだだ被り。
序盤に見せられるバラバラになった上虚しく進む日常はガルパン映画の廃校で生活するシーンのそれです。
まあ監督が同じですし、アニメの劇場版としてはこの展開がベターですからね。
別にそんな否定的ではないです。実際アツいですし。

で、かつてのスタッフ達にみゃーもりが声をかけて再集合する中盤ですがここがかなり面白く見れました。
SHIROBAKOのキャラは実際のアニメ制作のスタッフの数だけいるわけですからとっても多いです。
なので各キャラの再集合はテンポが良いかつ、アニメのその後もしっかり掘り下げられるバランスの取れた進行。
一気に集まるのではなく、実際のアニメ製作進行に従って少しずつ少しずつ集まっていく過程もなお良しです。
所々に挟まれるスピーディーなギャグが面白くて視聴者を飽きさせません。
ここはさすが水島監督といったところ。

その後も一悶着二悶着あったりして、映画終盤。
無事映画のダビングを終え、上映するだけのところまで来たムサニ一行ですが、みゃーもりが納得いかずにラストを作り直すことを監督に提言。
実際監督も納得した出来ではなかったわけですが、タイトなスケジュールで劇場アニメを完成させただけでも十分。
もう作品を完成させられないということはしたくない...と悩む監督でしたが、作り直すことを決めます。
ここでカットが飛び、上映当日。
ムサニの作った映画のラストシーンが流れ、劇場版SHIROBAKOも終わりました。

このラストは人を分けるかなと思いました。
僕はあまり好きではありませんでしたが、言いたいこともこれが好きって人の気持ちも分かります。
実際一緒に見た友人の一人はラストとても感動したと言っていました。

つまりは、ムサニの作った劇場アニメのクライマックスがみゃーもり達を描いた劇場版SHIROBAKOのクライマックスであるということを言いたかったのだと思います。
それはそれで良いメッセージだとは思うし、劇中のクライマックスも流石映画と思わせる素晴らしい作画でよく動くアクションでした。
しかし、僕にとってよSHIROBAKOはあくまで『アニメに携わる人達』の物語です。
その携わったキャラクター達が人生を燃やして作った作品のクライマックスなんだからこれでええやろ。というのも分かります。
が、作り直すぞー!からのすっ飛ばして上映当日、という作り直しの描写が一切ないのは正直拍子抜けましたし、作り手の話であるSHIROBAKOのクライマックスとしては欠けると感じました。
まあ、119分といういっぱいいっぱいの映画でしたから、尺が足りなかったというのが一番大きかったのかなと思いますけどね。
どうしても映画作品の難しいところです。


これはSHIROBAKOシリーズを通して言えることですが、映画で改めて強く感じた伝えたいポイントは日本のアニメーションというコンテンツに対するです。
いまや星の数ほどある日本のアニメ。
いろんなジャンルのいろんな作品があるわけですが、各作品これはこういうアニメ、あれはああいうアニメと線引きがされているものです。
そんないろいろなアニメを取り扱うアニメ製作業界を取り扱うSHIROBAKOではありとあらゆるアニメ表現をしてきます。
本当に多種多様な表現で、アニメーションの欲張りセット状態。
『アニメ』というコンテンツ全体を愛していなければ作れないアニメーションでした。

中盤みゃーもりと新キャラが前制作会社に凸するシーンは凄まじかったです。
ノリはアニメで監督が原作者と会いに行く時のそれなんですけど、まあ激しく動く動く。
流石劇場版やなと感じさせられる本気の作画でした。

特に顕著にその多彩な表現が出るのがみゃーもりが悩んでる時にミムジー&ロロと話すシーン。
全部妄想なのでどんな表現もやりたい放題です。
個人的にこのシーンはどれも大好きなんねすよね。
前述の通りアニメは多くのクリエイターが関わって作るものですから、キャラの数もそのたくさんのキャラ達にスポットライトが当たる時間も長いわけです。
でも、このみゃーもりが色々と考えているシーンが定期的にあることでみゃーもの成長、自問自答、感情表現があります。
それでみゃーもりのことが好きになれるし、これだけキャラの多い作品でちゃんと主人公できている理由なのではないでしょうか。主人公に魅力があることは名作の絶対条件ですからね。

以上感想でした。
これが劇場版や!って言うよりも、アニメSHIROBAKOと全く同じノリで、新しいエピソードを見れたって感じでしたね。

僕も将来、できるならば何かコンテンツ業界に携わりたいと思っていて、大学でもそうしたコースに進む予定です。
映画内でも、アニメの本数は減って円盤がどんどん売れなくなっているという厳しい現実が取り上げられていました。
それでもなお、アニメ業界を志す人は多い。特に声優なんかは需要に対して尋常じゃない供給があります。

クリエイターの道を諦めた僕ですが、それでもやっぱり人生を救われたコンテンツ達に何か恩返しをしたい。
そう考えると、『アニメ業界』のことを知れるだけではなく、オタクにとってら考えさせられる作品でもあったのではないでしょうか。

一応映画の最後ではアニメ同様続編の伏線がまだあったので、もしかしたらまだ続くかもしれないですね。
みゃーもり達5人や七福神の伏線回収もまだですから、続編を期待したいところです。



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