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鬱の始まりと障害者雇用で働くようになるまで

今日は気分が落ち気味なのと、息苦しさがあるので、ラベンダーとティーツリーをブレンドした芳香浴をしながら、パソコンに向かっています。
ラベンダーは好きな香りです。癒される。
ティーツリーは呼吸器系に効く精油。
ラベンダーもティーツリーも今日帰りに買ってきたのだけど、呼吸器系の精油のヒントを店員さんに伺い候補を提案して頂いたものの中から、直感でこの香りがいい!という物を選びました。
良い香りだな!と思うものが、その日の自分に合う香りなんです。
だから、日によって好きな香りも変化するんですよ!
そして、今日、外出先でもまとめていたnoteを完成させたいと思います。

事件が起きた中学二年、友達と分かれた中学三年

たぶん、始まりは中学三年生。
周りからしたら、「そんなことで?」って思われるかもしれない。
中学三年生に進学した始業式。
それなりに結構な多人数の仲良しグループにいたが、誰一人一緒のクラスになれなかった。
きっかけは、たぶん、これだと思う。
当時の私にとっては、結構な衝撃だった。
1番辛いのはお昼の時間。
クラスから出れないのだ。
私はなかなか新しいクラスの人間と馴染めず。
修学旅行も行ったけど、楽しめなかった。
家族旅行で行った事のある場所ばかりで感動もなかった。
救いは隣のクラスに行けば、当時1番仲良かった子と話が出来たこと。
休み時間の度に隣のクラスに行っていた。
でも、途中から隣のクラスに遊びに行くのに、強敵が現れた。
そいつは仲良い子の席でよく話をしていた。
そいつの印象は、苦手、怖い、できれば関わりたくない人間だった。
理由があった。
中学二年生の時に、たぶん、そいつが原因であろう事件が起こった。
部活で一人、席を外して戻ってきた時に、席の下に紙が落ちていた。
拾ってしまったのがいけなかった。
その時、部活の仲のいい子は不在だった。
中に何が書かれてあったか。

「母様が死んでざまあみろ」

他にもたくさんの文字が書かれてあった。
字が汚かったし、最初、何が書いてあるかわからなかった。
でも、衝撃的過ぎて、その文字だけは覚えてる。
「母」に「様」がついていた。
私は小学校1年の時に母を亡くしている。
でも、それを知っているのはわずかな人間。
誰が、この手紙を書いた人間に話をしたのか。
ここで初めて、噂というのが怖いと感じた。
家庭の事情が噂として広まっている。
そして、それを利用して誹謗をする人間がいるなんて、思いもしなかった。
私は放心状態だった。
方針状態になりつつも、辺りをふと見渡すと、こちらを見ながら笑ってる同学年のグループがいた。
「不良」として教師に目をつけられる程、目立った生徒がそこにはいた。
手紙を持って帰れば、学校が問題にしてくれるだろうに、そこまで頭が回らなかった。
手紙を置いて、とにかくその場を去った。
もともと帰る予定だった。
帰宅しても、家族はいなかった。
姉妹は部活。
父は会社。
そんな時に頼ったのは、友達だった。
ケータイなんて持ってないから、家の固定電話で友達の家に電話をし、友達に話をした。泣きながら。
こんなに私は憎まれていのか。
ただ単にからかっただけなのか、目障りだったのか、わからない。
むやみに家庭の事情を言えなくなった。
その後、冷静になって、手紙を持って帰れば良かったと後悔し、翌日部室に行ったけど、そこに手紙はなかった。
親や先生といった大人には何も相談ができなかった。証拠がないから。
今思えば、その手紙を見て、そのまま職員室に持って行けば問題にしてくれただろうに。
中学とはいえ、まだ子供。
頭が回らなかった。

話を戻しますが、中学三年生になった時に隣のクラスで親しい友達と一緒にいたのが、手紙を拾って辺りを見回した時に笑っていた人物だった。
その親しい友達にも話をしてみたけど、私の言い分を信じられない様子だった。
「それ本当?あの子お母さん子だよ?」と。
どっちを信じるかは、○○ちゃんの自由だよ。と、言ったのを覚えている。

中学三年間は、いじめられてはいなかった。
ただ、3年の時は、浮いてはいたんだろう。
一人で昼ごはんたべたり、寝ていたりしていたから。
クラスに馴染めないから、結局は、遅刻しがちになった。


あえて遅刻した。

別のクラスに不登校気味の子がいて、その子とは小学校の頃から仲が良かった。
電話で話を聞いてもらった子だ。
今日行けるって電話をもらう日は、自分が遅刻してでもいいから、一緒に行こうと思ってた。
せっかく行く気になったんだから、2人で行ったら少しでもその子が楽に行けるのでは?と思ってたから。
待ち合わせで決めた時間に来なくても、もう遅刻するだろうなって時間でも、ずっと待ってた。
自分の勉強より優先したい事だった。
まぁ、教室に行っても、居づらい空間だったしね。
残念ながら、今はその子とは連絡取ってません。

受験勉強と高校時代

世界が滅べば私も死ぬから、滅べばいいとずっと思っていた。
分かる人はわかるだろう。
ノストラダムスが流行った年です(笑)
勉強してても、眠気が勝ってしまって、一旦寝てから夜中に起きて勉強しよう!と思ってても、勉強せぬまま朝を迎えてしまったり・・・
この頃から、自分の意志のコントロールが効かなかった。
毎日、自分と闘って、なんとか受験勉強を進める毎日だった。
なかなか毎日が憂鬱な日だった。
学校のクラスに入っても、楽しくないし、受験勉強はしなきゃだし。
だから、遡るなら、ここが始まりかな?って思った。
(※ちなみに、本命の高校は、落ちました。)
高校に上がる時には、なんとか気分を取り戻してた。
新しい環境であったし。
部活に入ったり、恋をしたり、ごくごく普通の生活をしていたけれど、やはり、鬱は潜めてた。
部活のミーティング中、自分の意見が言えなくなった。
たぶん、偶然なんだろうけれど、自分の発言と他人の発言が重なり、私の意見が掻き消された事が度々重なった。
うまく発言できなくなり、やがて意見が言えなくなった。
気分は落ち込み、きっと、部活を辞めれば治ると信じてた。
でも、部活生活を送っていた私にはついて行けない世界がそこにあった。
クラスでの人間関係だ。
授業が終われば部活に行っていたため、交友関係は部活の人間が中心だった。
それがクラスに移った。
そこに居場所はなかった。
入学当初に仲良かった子は、放課後は別の子と遊んでいて、だんだん昼食時間も一緒にいることが苦痛となり、一人で食べることになった。
また一人か、と思った。
進学し、クラスが別になればいいと願ってた。
迎えた新学期は、その子らとはクラスが離れ、私はいよいよ一人の時間をどう過ごすか考えていた。
厚めの本を持っていこうか、色々考えていた。
でも、友達ができた。(今でもその友達とは年賀状交換をしている。)
ほっとしたのも束の間で、いつの間にか、また鬱になっていた。
鬱になる悩みを友達たちにはなかなか聞き入れてもらえなかった。
成績が伸びなかったり、自分自身を常に責めてた。
遅刻や欠席も増えた。
いつの間にか、遅刻常習犯に。
そして3年に進学。
模試で行きたい大学の判定が最低ランクだったり、最悪な三者面談を迎えたり、もう、全てが諦めモードだった。
そんな中、面接だけで入れる(AO入試)で、短大に受かった。

短大入学と自律神経失調症

情報処理の短大に進んだ。
情報処理関係の勉強はなかなか面白かったけど、小さい学校の為、学祭に出席必須だったことが、私は無理だった。
よく話す友達は1人だったし、軽く話す程度の子には、「遅刻魔」呼ばわりされて、事情を知らないのに、よく笑顔で平気に言えるな、と思ってた。
よく話す友達が中退しても、なんとか卒業できるように在籍してはいたが、結局、行けなくなり、中退した。
短大の時に出た診断は自律神経失調症だった。

フリーターをして、アロマと出会えた。

短大入学前にバイトをするようになった。
そのバイトは、お金を頂く仕事なんだから、なんとしてでも行こうと頑張っていた。
迷惑かけた事もあったけど、短大中退後は、そのバイト先と自宅の行き来の生活をしていた。
そして、アロマテラピーを勉強し始めた。
アロマの勉強を卒業すると同時にバイトを辞め、アロマ関連の仕事に就くつもりだった。
でも、国家資格ではないし、資格を取っただけでは就職できなかった。
バイトでもいいから、経験がほしかった。
でも、電話した時点で未経験の私はどこも門前払いだった。
しばらく、ニートになった。

社会不適合者

結局、全く関係ないコールセンターに契約社員として入社した。
ニート時代で、鬱から離れられたため、治ったと思ってた。
けど、突然、腹痛に悩まされる日々が続いた。
色んな科を受診したけど、結局最後に行き着いた所は、心療内科だった。
久々に飲む精神薬の副作用がきつく、仕事ができなくなった。
体が重い。
仕事中でも、電話がない時間は、具合が悪くてデスクに伏していた。
そして、1年の契約満了とともに退職。
ほぼ、クビ状態。
それから、色んな職の面接を受け、入社しても短期間で辞める事が多かった。
どこもうまく働けなかった。
仕事が覚えられなかったり、注意される言葉に圧力がかかってたり、お客様に怒られてしまったり、社会不適合者になったと思った。
そして、障害者手帳を手にすることにした。
今は、会社に恵まれ、6年6ヶ月継続して勤務している。

推しを原動力にする今。


色んな事を経て今があるわけだけれど、思い返すと辛い事が多く、あまり思い出したくない。
その代わり、今は楽しいかな?と思う。
推しとするアーティストや二次元キャラクター、現在はコスプレイヤーさんを全力で応援する。
どうしても気分が上がらない時もあるけれど、「推し」という存在があるから、頑張れている事もある。
悩みはつきないけれど、自分と向き合って、今ある問題を解消したり、うまく付き合って生きていく方法を、現在進行形で探し途中なのである。

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