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「筆者」という一人称

ネットの記事(ニュースやグルメ系など諸々)やブログなどを見ていて前から若干引っかかっていたのだが、

「筆者」という一人称が気になる。

で、結論から言うと使う理由はわかっている。

2000年代以降に大学を卒業した人は多分わかると思う。
それが、この「筆者」という一人称を使っている理由のはず。

大学では論文やレポートなどを書く際、「私」ではなく「筆者」と書け、と指導されるからだ。

つまり、大卒の人には「硬い文章を書く際には『私』を使わず『筆者』とすべし」というルールが刻み込まれる。

後述するが、ここで覚えておいてほしいのは「私ではなく筆者と記述しろ」という指導であり、「一人称を筆者にしろ」とは言っていない、という点である。
※余談だが、私の大学時代の卒論の指導教官は「そもそもレポートや卒論に一人称を書くな。レポートはお前の意見を訊いているのが大前提なのでいらん、論文は学生ごときの感覚的意見なんていらないんだよ。引用しろ引用」という人だったので、そもそも「私」だろうが「筆者」だろうが使うと容赦なく削らせる人だった(そして何故か、最初に教授がそう宣言してるのに「私は~」と書くゼミ生が何人もいた。なんでだ)


まあそんなわけで理由はわかるのだが、指導教官が「論文の一人称絶対殺すマン」だったからというだけでなく、この「一人称筆者」には妙な違和感がある。


日本人の多くが最初に触れる「筆者」というのは、三人称のはずだからだ。


国語のテストや教科書で「筆者」という文言を見た覚えがあるはずだ。

「筆者の気持ちを次の選択肢から選びなさい」や「筆者の考えを●字でまとめなさい」などで目にする。

この場合、筆者は「この文章問題を書いている私」のことではなく、「著者(作者)」を指す

12年間三人称として扱われていたものが、突如一人称としてやってくるから違和感があるのだ。

それだけではない。
この氾濫する「一人称筆者」、上記のように「本来の筆者(と呼ぶべき対象)を指すのが自然な場合」でも「筆者=私」なのだ。

例えば、漫画や小説などの創作物や新聞やネットの記事、SNS、論文、とにかく「他の誰かが書いたもの」についての記事に言及する場合などでも頑なに「筆者=私」を譲らない。

そういう場合は、「本当の筆者」は「著者」「作者」「漫画家さん」「作家さん」「(作者の名前)+敬称」などと書かれ、なにがどうしても「筆者=私」なのだ。


もうひとつ、違和感を覚える根本的な理由がある。
上記で「大学での提出物においては『私』と書かず『筆者』と書くように指導される」と書いたが、本来レポートや論文で「筆者」と使う場合、

「訳は筆者による」(「訳は私によるものです」と言わない)

とか

「責任は筆者に帰する」(「責任は私に帰する」とは言わない)

とか

「原文を元に筆者が若干修正」(「私が修正しました」とは言わない)

などの使い方が原則である。「論文で『私』を使わない」というのは本来こういうことのはずだ。

だが恐らくこれを拡大解釈・誤解し、

「筆者は~」と一人称的に使う

というルールになってしまったため、なんだか形容しがたい気持ちの悪さがあるのだ。

この現象はいつの間にか、「私」は私的な感じがして「筆者」は公的(かたい文章)な感じがする、という謎の感覚で説明されるようになってしまった。
謎というか、論文のようなかたい文章で使っていたからかしこまった感じがするのであって、かしこまった印象があるからかたい文章に使われるわけではない。前後関係が逆である。

で、そもそもこの「かしこまった文章を書く時には筆者を一人称として使えルール」なのだが、どうも2000年代あたりからの流行らしい(そして定着したっぽい)。

確かに私が学生の頃には既にこのルールがあった。

ネットで調べられる範囲だと、2000年、2002年の音大あたりの修士論文で少しだけ「筆者自身は」など、一人称的な使い方をしている論文がひっかかる。だが、やはりこの2000年代前半時点だと「筆者」といえば「(研究対象の)論文などを書いた人」を指し、「一人称として使われている」という例は少ない。一部界隈では使われていたが、こんなに当然のようにバンバン使うものではなかったと推測される。

90年代以前となると、ネット記事そのものがないので比較はできないが、新聞や雑誌などの記事やコラムでは、やはり「一人称筆者」はなかったようだ。
当時のこの手の記事の一人称の定番は「記者」である。

ここからは個人的な推論でしかなくなるが、
ネット記事は素人でも書ける。
記者=プロであり、素人の自分は名乗れない。
そうなったときにちょうどいい塩梅の一人称が「筆者」だった。
のかもしれない。

例えば昔、「一人称筆者」のコラムがあったとして、出版バブルだった当時は書けばいずれ紙媒体になる前提(もしくはそのまま破棄される)だったので、「一人称筆者」があったとして違和感がなかったのかもしれない。読者の目に触れるのも絶対に「プロの書いた紙媒体のなにか」だったわけだし。

感覚的にはチラシとか学校新聞に「筆者は~」って書いてあるのに近いから違和感があるのだろうか。それとも紙じゃないからなのか。

「硬い文章だから筆者を使う」という目的はずなのに、個人的にこの「筆者はこう思いま~す★」という文章を見ると「一人称が自分の名前の女子」を見ている感覚に陥ってしまうのだけど、これ共感してくれる人いないだろうか。

よく「新しい日本語(誤用転じて正道になる)」の話題は出るが、この「筆者」はあまり言及されていなくて出てこない。
多分それくらいするっとスムーズに定着してしまったようだ。

これ誰かちゃんと調べてくれねえかな笑


余談

更に恐ろしいことに、今調べたら「著者」は一人称としては駄目で、「筆者」はOKという謎理論の記事が出てきた(しかも「作者」については言及してない」。

そしてその記事、「著者」はノンフィクションで「作者」は創作物という独自ルールまである……おっそろしいな。著者は著作物の作者のことだぞ……。創作物に「著者近影」とかあるだろ……。


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