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「世界観とは何か?」<連載05 環世界について②>

前回に続き「環世界」の話になります。

前回はマダニを例に「動物は感覚器官によって主体的に感じる世界が違う」という話をしました。その主体的に切り取った世界を「環世界」と呼ぶのですが、この「環」という部分にフォーカスして話を続けていきます。

今回も構造を分かりやすくするために、カメレオンの世界を例に出すと、カメレオンは、目の前にアメンボが来ると無条件に舌を出してアメンボをパクリと食べます。

それは反射的なもので、カメレオンにとってアメンボというのはパクリと食べるものだから、射程内にアメンボがいれば、次の瞬間には舌がびよーんと伸びるわけです。

その関係性は、三宅陽一郎さんのスライドを転用させてもらうと次のような図で表せます。

https://www.slideshare.net/youichiromiyake/ss-55700355 より

つまり、主体であるカメレオンの世界の中では、アメンボという客体(対象)は「食べるもの」という関係性で完結しているわけです。もう少し細かい図にすると下記のようになります。

知覚と作用がセットになって関係性が築かれており、この「主体と客体を連結する環」を「機能環」と呼ぶのです。

カメレオンとって、アメンボは「捕食する」という機能環が結ばれていますが、人間にとってアメンボは捕食対象ではないので(多くの人の場合)、同じ機能環は結ばれていません。

例えば何らかの理由のために「観察する」とか「飼育する」という作用はあるでしょう。そのように、生物は外部に存在するあらゆる対象(客体)に対して、自分にとって必要な関係性を結んでおり、同じ対象でもあっても、生物によって結ばれる「機能環」が違うというのはよくあることです。

もっと言えば、私たち生物は無限に広がる世界の中から、自分にとって必要なものだけを選び取っています。自分にとっての世界というのは、その集合体であり、つまり自分が外部と結んでいる機能環の集合体が「世界」だということなのです。

この話を「世界観」の話に紐づけていきます。

世界観の定義を「世界とはこういうものだという世界に対する見方」とした場合、そもそも「世界をどうやって認識しているのか」が重要であるのは間違いありません。

世界観というのは、経験や文化的な慣習による「フィルター」のようなものとも言えますが、そのフィルターとは、私たちが世界と結んでいる「機能環」のようなものです。

ユクスキュルがいう「機能環」は生物としての知覚刺激に対しての反応作用で閉じられるものですが、単に動物的な反応だけではなく、対象に対する「意味づけ」や「反応」は経験などでも追加されていきます。

原始的な生物ほど「機能環」の数は少なく、シンプルな反射、反応の連続性がその生物にとっての生命活動ということになりますが、人間は高度な生き物なので、客体(対象)との関係性が「1対1」でないことがほとんどです。

目の前に椅子があったとして、多くの場合は「座る対象」ですが、場合によってはその上に乗って電球を取り替えるかもしれませんし、場合によっては窓ガラスを割る武器になるかもしれません。つまり、客体(対象)に対して、複数の「機能環」が結ばれているのです。

生物として高度であるというのは、世界かから切り取る「対象」の数と、その「対象」との関係性の複雑さと言っていいでしょう。

対象に対する「機能環」が複数ある時には、自動で作用は起こらず、選択する必要があります。なので、私たちの生活においては、マダニやアメンボほどに反射的な行動は少ないのです。

その対象に対して、どのような関係性を結ぶか、またその関係性の中での「ベースとなる認知」の集合体が「世界観」と言えるのではないか。この視点をベースに考えると、漠然としていた「世界観」というものが、もう少しクリアになってこないでしょうか?

次回はさらにこの話を展開していきます。

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