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東京日記#4 葬送のフリーレン

七月二十二日(月)
武田百合子さんが好きだと言ったら、`海からの贈物`という本を教えてもらった。他にもご自身が好きで私に合いそうな本を数冊教えてくれる。

七月二十三日(火)
構内の防犯カメラの上、ツバメの巣から口をへの字にして雛鳥が顔をだしている。

七月二十四日(水)
Kの人を応援する姿勢。
自分がしてあげたいと思っていることと、相手がしてほしいだろうことは必ずしも一致するものではない、と思っている。自分とひとの境界線がはっきりしていて、思いが一致しないことに固執しない。その上で(だからこそ?)常に、できることの接点を探っている。
「こうするのが当然だ」という一般的な考えでは動かないから、人によっては冷たい人だと思われるんだろう。でも、相手の範囲を奪わず、且つ放棄せず継続的に側にいる、持久力のあるこの姿勢こそが温かさなのだと私は思う。

七月二十五日(木)
仕事場の二階の窓から銀杏がみえる。
うっすら黄色味掛かっている。
葉っぱも半分黄色くなったものが落ちている。

七月二十六日(金)
涼しそうな葉をみつける。ひっぱると蔓になっていてしばらく解く。
水差しにしてもつだろうか。名は蟹草とのこと。蟹が釣れるらしい。

七月二十七日(土)
髪を切ってもらう。久しぶりのショート。
都内はどこも夏祭り。

七月二十八日(日)
絵の具の色見本を作る。
日記を付けてみると、私は生活の中で色を追っていることに気付く。

七月二十九日(月) 39℃ 晴れ 無風
ヤブミョウガに実がなる。
白い丸い花がブクブクと泡のようにふくらんでみっつに割れ、その中に青紫の実がなっている。
梅雨が明けるすこし前ぐらいから、花の咲く勢いが落ちたように感じた。
そこから目に留まるのは、栗の実、桐の実、鈴懸の実、銀杏、ヤブミョウガの実。暑さの極みのその元で、秋は始まっている。

七月三十日(火)
夕方
雨が降る。横断歩道で水溜りの撮影。
電線も電柱も植物も、鳥も犬も歩く人もみんな逆さまに映る。
水溜りは、生きるもので充ちるこの世界の裏側のよう。

七月三十一日(水)
カンナにも実がなる。
ライチに鷹の爪が刺さったような実。

八月一日(木)
ぬか漬け。ズッキーニを漬ける。皮を半分むいてストライプに。ズッキーニは頭とお尻を切り落として塩を振ると、皮側から等間隔に水滴が出て、ゼリー状になって固まる。青くてしょっぱい味がする。

八月二日(金)
Kに教えてもらった`葬送のフリーレン`を漫画で読み始める。勇者パーティーが魔王を倒したその後の話。パーティーのひとりである魔法使いのフリーレンは千年以上を生きるエルフ。「みんなとの冒険の10年は、私の生涯の100分の1にも満たない。たった10年だよ」と冷めた目で言うフリーレンに、パーティーの仲間は「でも、その100分の1がお前を変えたんだ」と言う。印象的なシーン。

八月三日(土)
ツバメは巣立った様子。

八月四日(日)

白いドレープのカーテン越しに青い空だけが見える。遠くで一匹蝉の声。

八月五日(月)
2時間半待ちで文庫1冊と漫画2冊。

八月六日(火)
拾い物をしてきたあと。

八月七日(水)
夕方
北の空で雷。さらに遠くの空は赤紫。陽が沈んで暗くなった空に横向きに稲光り。銀箔を貼ったように辺りが明るくなる。23時頃まで雷鑑賞。

武田百合子さんの富士日記に影響を受けて、日記を始めました。
私の日記のルールはふたつ。
自分の気持や思いにフォーカスしないこと。
見たこと聞いたことあったことをそのまま書くこと。
次回は8月22日、処暑の頃更新します。
秋ごろまで、しばらくお付き合いください。

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