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げんふうけいの貴方へ

 好きになったお兄さんは、ショートホープを吸っていた。それはインターネットで公開されて、今も電子空間をふわふわと漂っている文章に出てくるお兄さんの吸ってる煙草の銘柄とおんなじだった。
私は、最初にインターネットに出会った13歳から17歳、高校生を終えてしまうまでの、インターネットの男の子やお兄さんへの憧れとか、恋とかに小さな小さな決着をつけようとしています。

 私が生まれたのは平成16年、ゼロ年代は小学校に上がる前にはもう終わっちゃってて、インターネットに本格的に触るようになった頃にはもう2chとかニコニコとかの全盛期が過ぎていた。
2chには私の好きな男の子を生み出すことの出来る優れた一般人が住んでいて、四角いTwitterのアイコンを持っていて、私が小学校の校庭で逆上がりが出来ずに居残りをさせられている間に2chの、VIP版とかよく分からないシステムの中で話をしてて。中学生になって私は初めてその存在を知って、それを時間的に少し離れたところからみていた。

 それは日常から遠く離れた風景だった。単色の背景に、文字だけが整然と並ぶ。都会生まれの人が田舎の、田んぼだらけの風景を見た時みたいだった。ちょっと道を間違って、ちょっと時間をかけすぎて来てしまったな、という後悔が生まれる風景だった。私はその風景にどうにか馴染んでみたくて、背伸びをしたくて、インターネットに古くからいるフリをして、インターネット老人会が、とか、初期のニコニコは、とか話していたけれど、そんなにちゃんと長くいた訳じゃなかった。実際にしっかりインターネットをし始めたのって2016とか、2017とかの気がする。

 


げんふうけいという2chのSS作家が居た。今は投稿作の結構な割合が消されてしまっている。リアルタイムで追えなかったから全部全部知ることはできなくて、それでもいくつかの作品をみることができる。この人の理想を描く作品に一目惚れをした。
インターネットの女の子は黒髪で、白いワンピースを着ていて白い肌で、ってステレオタイプがあると思うけれど、実はインターネットの男の子ってそれよりもっと強いテンプレートが存在している。んで、長い前髪と家から出ていない白い肌、不健康そうな体格の3つの要素を持っている。そして全キャラクターの中でちょっと年上。そして黒髪白ワンピースの女の子よりもちょっと現実的。これはきっと私と同じように画面越しで恋を見続けている男の子をフィルターにかけた存在なんだと思う。ヒロインと同じで存在しない男の子で、存在しないかっこいいお兄さんだ。

 中学生の時に唯一使うのを許されていたiPodtouchの画面越しに見る作品中のお兄さんは社会に馴染んで居ないくせに無駄に余裕ぶった仕草をしていて、皮肉ばっかり言葉巧みで、
きっとずっと斜め下を見ていて視線が合わなくて、青白い肌をしていて、ちょっと長い前髪をしていて、明らかにご飯を三食食べていないでしょ、って言いたくなっちゃいそうで。そして偶に、切なそうに笑うのだと思う。


 この作家の煙の街という小説が好きだった。ひーちゃんとはーちゃんの話、という話が好きだった。どっちの話にも社会に馴染めていなくて、だけどかっこいいお兄さんが居た。ひーちゃんとはーちゃんの話は自殺未遂に家族を巻き込んで、自分だけ生き残っちゃった男の子と女の子が一緒に寝るだけのお話。出てくる男の子はどこにでもいる無気力な大学生で、変なところだけ饒舌で、生きることが下手くそで、気がついたときには救えない人間になっていた。煙の街に出てくるお兄さんは冒頭でも言ったショートホープを吸っているお兄さんなのだけど、このお兄さんは口が悪くて緩やかな自殺志願者で言動が結構胡散臭い。この話ではお兄さんが死に近づいたり遠ざかったり、ヒロインと二度と会えなくなってしまったり色々するのだけどお兄さんは一貫して生活感がない、救えない生活を送り続けていた。

 お兄さん達はどうしても救えなかった。でもそれはそのときの私にとってとても気持ちのよいものだった。お兄さん達の救えなさは14歳の頃感じていた疎外感と合わさって心地良かった。どうしたって孤独に憧れていて、でも教室から出ることが出来なくて、中学校のクラスの、あの雰囲気に馴染めていないことだけで気持ちの悪いやつになると刷り込まれていたあの頃の閉鎖的な世界では救いだった。その世界から外れたところで生きていたのはインターネットにいたお兄さんだけだった。他人を気にせずに生きていける、周りからハブられたって何をしたって かっこよかったお兄さんだった。学校の外にあった、どこまでも広い世界はお兄さんそのものだった。私が深夜寝られない夜にただ時間を潰しているあいだ、泣いているあいだ、お兄さんはつまらない部屋を出て、誰もいない街を独り占めしていたり、ふたりじめしていたりしていた。

 作品の中でヒロインと出会って知らない間に傷が溶けていくお兄さんをずるいと思った。お兄さんはいつだってヒーローだったのに、気づけばヒロインに救われていた。(基本的にはヒロインに救われたい作者や読者の自己投影をするための物語なのだろうから当たり前なのだろうけれど。)お兄さんにはヒロインが居るから絶対に私の事を好きになってくれなかった。私は白ワンピースの少女にはなれないし、幸薄そうな顔の美人でもない。だから私がヒロインになれないこともわかっていて、それはそのときの自分の性格が悪かったり、怠惰だったりすることの肯定にもなる気がしていた。

 中学生の頃は大学生の男の子も20代後半のお兄さんもとてもとても大人で、私とは違う世界に住んでいる人だと思っていたのに、私は上手く行けば来年には大学生になれてしまう。あのころの全てだった創作物は今私どんどん大人になっていてどんどん近づいて、そのうち追いついてしまいそうになっている。それが怖い。中学生とか高校生で黎明期のインターネットに触れて、大学生のときにこの文化に触れていれば、正しく間違って傷つくことが出来たらもう少し違っていたのだろうか、と思う。



 私が死ぬ時に手を取って泣いてくれる人って居るのだろうかって、夜にふと不安になる時がある。私の本物の生活の記憶はいつもすぐ側にいて、私が私の今まで触れてきた創作物を取り除いてしまった人生の、からっぽさに気づいた瞬間に私をぺとぺととまとわりついてくる。まるで私を責めるみたいに。普段は私に対してニュートラルに接してくるのに。あれは私のものなのに、私の記憶なのに、たまに物凄い悪意をもって傷つけようとしてくる。
それに比べてインターネットは私にずっと懐いてくれなくて、ぐさぐさと容赦なく傷つけては来るけどその悪意は全人類に対して平等で、ただ一定の距離を保って虚構をみせつづけてくれる。
もし私が誰の温もりにも触れられずに死ぬことになってもインターネットだけはそこにいて、かなしみもしないでその状況をじっとみていてほしい。
どうかインターネットがどうか不滅でありますように。私の初恋がいつまでもそこにありますように。

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