千種創一「砂丘律」を読んで
千種創一さんの砂丘律を読んだ。不思議な本だと思った。どこか哀しいし、寂しいけれどその感情すらフィクションのような感覚があった。とくに''あなた''との関係を詠んだ歌には演技のような狡さ、遠くから呆然と見尽くす冷たさが充満しているように感じた。
先輩にこのままでいて欲しい、長生きして欲しい、して欲しくない。近しいからこそ言えない感情が溢れている気がした。
君はきっとそのことについて肯定も否定もしないでしょう。煙草を要求されたら差し出して、断られたら「そっすか」と曖昧に笑ってそれを仕舞うのでしょう。
先輩、という言葉はとても都合がいい。憧れも恋慕も全て先輩だからという理屈で通せそうな気がするのだ。
何もかも隠して、ここでただ眺めていたいのだ。感情を一切描写せず想いを映したこの歌は、とても狡くて寂しくて切ない。
この歌をこの先の人生でどれだけ思い出すのだろう、この歌を思い出してしまう人に、私はどれだけ出逢うのだろうか。
読点の間で、視点が海から『君』へと視点が変わっている。あれは鯔。の部分は『君』の隣で話しているのに対し、後半は遠くから『君』を眺めている。『君』の隣にいることが出来たのに、その関係は、途中で崩れてしまった。
そしてひと息置いてから、君は遠く、神聖なものに変わっている。『君』との隔たりが明確に感じられる、寂しい歌だと感じる。
塩なんて拭いてしまえばなんてことはないのに。あなたに対して、なんでもいいからなにか残したい、あわよくばそれが呪いとしてあなたのなかに残ればいいと私は良く思う。
二の腕という絶妙な距離感も好きだ。あなたの胸にも、心にも涙は届かない。
遠さ。という単語が思い浮かんだ。デジタルデバイスのなかにある記憶は遠い。
そういえば私にも消せない海の動画が一本だけあるな、と今思い出した。
君がいた夏があった気がする
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