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アンネの家と日記とアップルパイと

バルト三国・ポーランドの後
ハンガリー、スロバキア、オーストリア、チェコ、ドイツを経てオランダ アムステルダムに辿り着きました。
アムステルダム滞在は3泊4日。

1日目
移動とスーパーで買った夕食。

2日目
5時間かけて国立美術館を観た後、街歩きとニシンのサンドとインドネシア料理(スーパー)。

3日目
昼までだらだらしてワッフルとローストビーフサンドとアップルパイとアンネ・フランク。

さて、この記事ではアンネの日記と隠れ家について書きます。
noteでは真面目なことを書きがちです。
旅の楽しい写真はInstagramも見てくださいね📷

アンネの日記

言わずと知れた名著ですが、手に取ったのはアンネの家の訪問の2日前。
電子書籍を購入して読み始めました。
こういうとき電子書籍ってほんとに便利だと思います。

子供の頃から推薦図書なんかで頻繁に目にしましたが、人の日記読んでなにがおもろいんやろくらいに思ってました。

それがおもしろいんです。
人の日記を読むのってなんておもしろいんでしょう。
600ページくらいあるのでとても読みきれませんでしたが、訪問までに4割くらいさらっと読めました。

アンネ・フランクは4歳までフランクフルトで暮らし、1933年にナチスが政権を握った後、一家でアムステルダムに移住します。
1940年ナチスのオランダ侵攻後、ユダヤ人の行動を制限する様々な法律や条例が導入され、生活は困難になっていきます。
更なる迫害が進む中、一家は隠れ家に移動することを決めます。
1942年7月から、ドイツの警察に逮捕される1944年8月まで、隠れ家から一歩も外に出ずに過ごした日々がこの日記に綴られています。

主な登場人物は隠れ家の住人8名と4名ほどの生活の協力者。
狭い家で少ない人数が毎日顔を合わせて生活することの息苦しさ、家族との諍い、日々の中の小さな楽しみ、戦況、終戦への希望、絶望など、思春期の女の子が抱える様々な思考や感情がくるくると日々入れ替わる様子が、瑞々しく描かれています。

アンネの考えることや表現がおもしろくて、訳もきっと上手に言葉があててあるんだと思います。
日記に出てくる悩みや問題には、現代に共通するテーマもあります。
また、この頃どのような生活をして、何を食べていたかなど日々の様子が分かる貴重な資料ともなっています。
あるときオランダ政府の教育大臣が、戦後のために戦時中の日記や書類を保管しておくことを国民に呼びかけたことをきっかけに、アンネはこの記録をまとめていつか出版することを思いつき、これまで書いていた日記の編集、清書の作業を進めていました。
残念ながら作業を終えることなく逮捕され連行されることになりますが、家に残った日記は協力者によって保管され、戦後唯一の隠れ家の生き残りとなった父オットー・フランクによって1947年に出版されます。

アンネの家

予約はお早めに!

アンネの家への訪問は予約制になっています。
チケットはオンライン購入しかありません。
営業時間は9時から22時。
入場料は16ユーロです。

予約サイトには、
「毎週火曜日10時に、6週間先まで予約できるようになる」というようなことが書かれています。
これは早めに予約しないといけないときの書き方じゃないですか。
私が予約サイトを開いたのは土曜の夜で、日曜は完売で、月曜の20:15-20:30に入場というのが最短でした。
危なかったー!(火曜日午前中に次の都市へ移動するため月曜が実質最終日)
12月12日現在、16日土曜と25日〜1月2日のホリデーシーズンはすでに売り切れのようです。

隠れ家の中は広くないので、15分ごとに区切り、かつ同時に入れる人数もそんなに多くなさそうでした。

スタッフの対応

訪問日、18時ごろに隠れ家の前を通ったので、ダメ元で予約してるチケットは違う時間帯ですが、今入れますか?と聞いてみました(キャンセルがあれば入れるかなと思ったので)。
すると、入っていいよと言われたので、喜んで少し離れたところにいた夫を呼び寄せました。

夫を待っていた数分の間にスタッフの方が変わっていたので、入れますか?さっきいいって言われたんですけど、と言うと時間が違うのでダメだと言われました。
そんなぁ🥲

もちろんルール通り、ダメな理由は分かるのですが、さっきのスタッフの証言を得たくてしばらく入り口付近で佇んでいたら、先ほど入館を断られたスタッフの方がやってきました。
「家の中は狭くて人数制限があるので、予約時の入場時間は厳守。他に特別な理由はない。」ということを改めて説明に来てくれました。
私がそのことを理解していると言うと、笑顔で持ち場に戻られました。

場所が場所だけに、『他に特別な理由はない』の部分に色んな意味が込められていて、なんだかお気遣いにほろりとしました。

展示

日記に出てくる図や話だけでは理解しきれない、実際の家の構造や各部屋の様子が見られるのが1番の魅力です。
表向きの建物である会社事務所の方から裏の家を隠している本棚の向こうの扉が開くところでは、そのカラクリに不謹慎にもテンションが上がります。

アンネの日記、アウシュビッツ他ユダヤ人関係施設訪問、映画「私の親友、アンネ・フランク」などなどで見聞したことが結びつきました。
そういった点では、新しく知ることはそんなにありませんでした。
↓よろしければこちらもご覧ください💁‍♀️

8人の住人と協力者たちの顔写真を見ることができたので、引き続き日記を読むにあたって想像が膨らみやすくなりました。
(メモ:ミープが美人)

隠れ家の生き残りはアンネの父オットーだけ。
自分が同じような環境におかれたらどれだけ心が抉られるような思いをするか想像しきれませんが、たった1人でも生き残っているからこそ、こうやってこの時代のことを知ることができるのは、今を生きる人類にとっての幸運でもあったと思います。
また、協力者たちが全員生き抜いたことは、日記の読者にとっても心の救いとなりました。

展示の最後には、ヒトラーが選挙で選ばれ、ドイツでユダヤ人迫害が始まり、フランク一家がフランクフルトからオランダに移住する経緯などもまとめられています。

その近くには、民主主義の何たるかを表現したアニメーションがあります。
ヒトラーは選挙で選ばれた政治家です。
その後の独裁、極端な思想はヒトラー個人の責任もありますが、選んだ責任もないとは言えません。

民主主義は常に正解を選べるとは限らないから、正しい情報を得て、全てを鵜呑みにせず批判的であること、間違いを間違いと指摘すること、会話をする、疑問に思うことは聞くことなどが大事だ、人任せにせず行動しよう、というような内容だったと思います。(やや意訳)

ヒトラーが当選した背景には、アメリカから広がった経済不況の煽りを受け、多くの失業者が出た中で、公共事業等により失業者をなくすという公約を掲げて人気を得たということが一つ挙げられます。
困窮しているとき、社会の分断があるとき、人々は強いリーダーを求めたくなります。
今の日本、大丈夫かな…
政治の透明性を実現してほしいものです。

その他

アンネが書いていた日記や小説の中に、一冊別の趣向のものがありました。
読書をしていて気に入った文章を書き留めるためのノートで、
「book of beautiful sentences」と書かれていました。

やることが美しい。
電子書籍にはマーカー機能もありますが、少なくとも私はあんまり読み返すことはないんですよね。
美術館や博物館で写真を撮って、あまり見返さないのと同じことのように思います。
ちなみに、アンネの家は全面写真禁止とのことで、記録できない分じっくり見ておきました。
写真撮れるか撮れないか、どっちがいいのやら。

アップルパイ

Winkel43 クリームもりもりアップルパイ

訪問まで時間があったので、アップルパイを食べました。
おいしかったです。
18時に入っていたらアップルパイは食べていなかったので、帰りは遅くなってしまいましたが、そのときに入れなくてよかったです。

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