革命と富の再分配②新解釈フランス革命

革命と富の再分配①においてフランス革命は富の再分配がなされていないことを指摘した。以下は必ず革命と富の再分配①をご覧になった後でお読みくださると助かります。

さて、この歴史の通過点をさらに深く掘り下げると新たな視点が見えてくる。

時は18世紀の欧州である。
貴族たちはおそらく平民からの税の徴収もうまくいかず、王政に対して自らが再考する時が来たのだと。

貴族たちは集まって考えた。

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貴族A「なあ、貴族の皆さん、今まで法外な甘い汁を吸ってきたが、この経済システムも限界だと思うんだが。」
貴族B「そうだな。税金を上げようとしたら、平民の野郎たちは暴力沙汰を起こしてきやがった。」
貴族C「この王国で領民ごときが俺たちに逆らうとは何事だ。」
貴族D「俺たちもこの王国を守るために傭兵の経費も掛かっているのに領民ときたら、ふざけやがって」

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当時のヨーロッパにおいては国家が存在していない。領主=国王、そして其の取り巻きの貴族や聖職者が傭兵を雇っていた。いわゆる軍隊である。
彼らの戦争は経費の掛かる傭兵を使っての戦争だから、まるでゲームのようだった。
ある戦場に敵味方の傭兵が集まる。よーいドンで戦が始まり、貴族たちは戦況を見ながら、不利だと思ったらサラッと戦争を終わらせる。そして領土などを受け渡す。お互いに傭兵が全滅するまで戦うことは、膨大な経費の無駄であることを敵味方お互いが分かっていた。

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貴族A「俺たちがもっと未来永劫に金持ちになる方法を考えよう。」
貴族R「おい、みんな俺たちは、あらたな儲けのシステム作ろう。どうせルイ16世はもう潮時だ。」
貴族A「平民の怒りの矛先は国王に向かう。国王が殺されてもいいけど、俺たちは未来永劫設けるシステムに生き残りたいな。」
貴族R「じゃあ、国王はルイ16世は生贄にして、俺たちは政治舞台から身を隠す必要があるな。」

貴族たちは革命を平民に了承し、「国民国家」の成立というイデオロギーを選択した。ここでフランス革命の成果としてのキーワード「商業・工業の発展に伴うブルジョワジーの台頭」が関連してくる。

貴族A「『国民国家』いいね。領民の馬鹿どもが国家を動かし保有させればいいじゃん。俺たち目の上のたんこぶだった傭兵も雇う必要ないよね。今度は領民いや、国民が国家を動かすって言ってるんだから彼らの代表が喜んで税金を徴収して国民が納得の上で軍隊を管理するんだろ。これは金がかからなくていいじゃん」
貴族B「でも俺たち貴族の利権は担保されないよな。それは問題だ。」
貴族R「安心しろ。俺たちは政治の舞台から消えるんだ。政治の舞台は国民がうるさくて仕方ない。政治は俺たちが金の力で誰かを代表に据えればいいんだよ。失政で国民が騒いだ時は、別の人間を傀儡として祭り上げればそれでいい。なあ、みんな俺たちは裏の権力に徹するんだ。」
貴族A]「裏の権力って何さ?」
貴族R「安心しろ。俺達には金がある。革命が起きてもルイ16世の領土だけが差し押さえられる程度だ。俺たちは債券もあるし、資本家として工業・商業の資本家として君臨すれば永遠に甘い蜜を吸える。政治の舞台は操り人形の任せてビジネスの世界で出資者として儲けるんだよ。革命の矛先も俺たちには向かない。」

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生粋の超富裕層は我々と根本的に違う点がある。私たち庶民は自分の老後とかに必死だが、彼らは違う。
莫大な資産をどう運用するのか、自分の血族にどうやって引き継ぐのか、それを『数世代先まで見越して』戦略を立てる。
それが金持ちというものだ。
市民革命という美しい言葉の裏で、本当の金持ちの貴族たちは政治の世界から経済の世界に転向することになる。
歴史において、権力者は絶えず大衆を恐れていた。
大衆の矛先を操り人形を据えることで、彼らは水面下で利益の収奪作業を繰り返すことになる。これは現代まで続く事実だ。
独裁政権下では、責任者の失政により国民に弾劾されひどいときは殺される。悪知恵の働く本当の権力者は政治の表舞台には出ない。
現在の本当の権力者は、国民は騒いだ時は政治のトップを挿げ替えれば国民が納得することを知っている。操り人形の政治のトップにしては死活問題だが、裏の権力者は国民の怒りの矛先を受けることはない。本当の権力者はいつも安泰ということになる。


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貴族B「でもさ、俺たち国民国家って概念がなかったからさ、新しい『フランス』ていう国民国家ができたら俺の領土どうなるの?俺さ、ヨーロッパ中に飛び地だけど領土を持ってるんだよ。苦労したんだぜ、婚姻関係を繰り返してようやく手に入れた領土なのに。」
貴族R「安心しろよ。イギリス国王の東インド会社なんてあんな遠くのアジアで有色人種のど奴隷たちをてなづけて大儲けしたんだぜ。俺たちの金は企業の株主として水面下で動けば儲けは未来永劫さ。政治もしょせん俺たちの操り人形だし。」

貴族B「そうだな。今度の国民国家とやらが小競り合いをすれば、儲けの種だしな。」
貴族R「そうだよ。その時は敵味方の両方に賭ければどっちにしろ儲かるし。そんなことができるのは俺たち金持ちだけだよな。」
貴族A「でも、もっとしっかり儲けられる担保が欲しいよな。市民革命という大イベントだぜ。」

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世界の富を収奪していた欧州の貴族たちにはさらなる秘策があった。
決して世に目立つことがなく、複雑怪奇で確実に利益を貪る方法が。
このシステムが現代社会の盲点となることになる。

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貴族R「おい、知ってるか?イギリス国王の国で名誉革命があったんだってさ。」
貴族C「ああ、あれか。イギリスの兄弟が悩んでいたな。」
貴族R「いや、イギリスの貴族はさすがだぜ。名誉革命なんて言いながら、面白いことを始めやがった。お前ら『中央銀行』制度って知ってるだろ。
イギリスでは名誉革命の後、『国債』って制度が認められたんだ。さすがイギリスの兄弟だ。」
貴族A「なるほど、中央銀行制度って、自由にお金を刷れる権利だよな。あれは良いよな。通貨発行益、つまりシニョリッジなんて国民は難しすぎてわからんからな。で国債ってのは・・・・」
貴族R「俺たちが裏で操作しているにも関わらず、国民とやらが自分たちの国家と勘違いしているおかげで儲けられるんだよ。最高システムさ。奴らが勘違いしている国家とやらに合法的に金を貸すんだよ。」
貴族C「そりゃ完璧だ。俺たちの利益も担保されたな。」
貴族全員がうなずいた。

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中央銀行制度と通貨発行益については、機会があればわかりやすく説明をしたいと思います。ただ、全体の経済界の歴史のイメージをつかんでいただければ幸いです。

この後、フランスのナポレオンがヨーロッパで周知のとおり大活躍をします。傭兵、つまりは金で雇われた軍隊をイメージしてください。
フランス・ナポレオンの軍隊は国民国家の軍隊ですので、兵士は自分の恋人や家族を守るための軍隊です。軍隊の持つ潜在的なボルテージが違うので、ナポレオンの軍隊はヨーロッパで負け知らずでした。
その裏で、はナポレオンと国民国家と国民のための軍隊というイデオロギーは欧州の貴族・国王たちを魅了していきます。フランス以外の地域の権力者及び富裕層たちは国民国家が非常に便利で素晴らしい利益収奪のシステムとして認められます。
こうしてヨーロッパ発の国民国家形成が世界に進められていきます。

さらに歴史上では社会主義というイデオロギーが生まれてきます。
欧州にいたカール・マルクスという経済学者に注目が集まります。
そうです、「資本論」を執筆したあの人です。
第一次世界大戦(1914年~)とほぼ同じ時期にロシア革命(1917年)が起こります。その理論の立役者がカール・マルクスです。

ユダヤ人であるカール・マルクスは貴族の資金を受け「資本論」を書きあげます。ロマノフ王朝のロシアで彼の理論はロシア革命を起こし、世界初の社会主義国家が誕生します。しかし実際はユダヤ革命であり、ロシアはユダヤ人国家の社会主義となります。それを後押ししたのはほかでもないアメリカでした。そこから政商マーマンド・ハマーがロマノフ家の財宝をアメリカに運び出すことになります。そして当時のソ連は富の分配が行われることなく崩壊していきます。

結びに。
日本でも江戸時代が終わり、大政奉還が行われました。
江戸幕府の有力者は政治の世界から消えました。
18世紀の欧州のように徳川家の財宝は資本家の資金として現代まで脈々と血族によってつながっていいるのでしょうか。徳川・松平家・トヨタあたりがキーワードになってきます。これについてはまた別にお話させていただきます。

さらに結びに。
マルクスにしてもトマ・ピケティにしても彼らの経済理論は必ず一線を越えません。マルクスに至っては貴族たちのパトロンがいたので仕方がないのですが、トマ・ピケティはどうなのでしょうか?
一線を越えたかどうか、本当に貧富の問題を解消しようとしているのか?
それともほかの意図があってメディアが持ち上げたのか?

マルクスにしてもトマ・ピケティにしても本当に庶民の味方かどうか、次の一線でわかります。

富の不平等における最優先課題の一つに金融制度もしくは金融資本家に言及するかどうかです。

マルクスとトマ・ピケティも産業資本及び政治家に責任を求めていますが、なぜ富の不平等における諸悪の根源が金融制度・金融資本だと明言しないのでしょうか?歴史を掘り起こせば明らかなのに。


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