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何が差別に当たるのかの一覧

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私の千歳科学技術大学の指導教官である川辺豊教授(2024年3月退官)に最後に会いに行ったら以下のようなとんでもない発言が飛び出した

「何が差別に当たるのかの統一的・具体的な定義は困難。従って私が君を差別したという指摘には当たらない。君が私から差別されたと感じているのはただの君の主観に過ぎない」

理系の教授職ですら何が差別に当たるのかもわからないのであればもはや私が何が差別なのかの一覧を作るしかない

また、「健常者様の論理」で考える限り見えにくいのだが上記川辺豊教授の発言にはもう一つ決定的な問題点がある。それは差別する側である健常者様が「何が差別に該当するか」まで決めてしまおうとしている点である。

仮に障害者が「こういうひどい目に遭った。これは差別だ」とか声を上げても「健常者様の論理」を巧妙に発揮して「健常者でもそういう目に合うことはあるんだからそれは差別じゃない」とか言い出す危険性がそこには横たわっている

何が差別に該当するかしないのかまで全部権力者やマジョリティに決定されてしまうとマイノリティや弱者は負けが確定する。そして民主主義を含む「健常者様の論理」で考える限り、自分たちで差別した挙げ句「これは差別の定義には該当しないなあ」と自分たちで決めてしまうことは完全に正しいのである

更に言おう。このような何が差別に該当するかもわからない健常者様に向かって障害者が「こういうのが差別です」と説明する行為自体が、差別被害者を差別する側の論理、すなわち「健常者様の論理」に当てはめる行為なのである。「説明し、理解し、納得する」というのは全体が「健常者様の論理」でありそれ自体が差別構造を生み出す危険性がある。この「被害にあったら説明し同意を得よ」というルールは差別する側が作ったルールである。差別される側がこんなものに組み込まれてはいけないのである。現に組み込まれてしまうと「何が差別なのか私にはよくわからんなあ」などと言い出すのが健常者様という生き物である

であるからして、この記事はそれが何故差別に該当するのかについては必要な場合に最小限の説明しか加えていない

また、この記事に出てくる差別の例は私が直接、間接、インターネット等で実際に私に言われた/誰かが言われているのを見たもので構成されている

まずは理系の教科書まで平然と差別を行っているという例から始めよう

差別を行っている教科書は以下のテキストである

今度こそわかる量子コンピューター (今度こそわかるシリーズ) 単行本(ソフトカバー) – 2015/10/24

西野 友年 (著)

以下に引用するページにかなりとんでもない差別表現が含まれている。見つけられるだろうか


問題なのはここである

例えば読者のあなたが男性だったとしよう。そしてあなたは、生涯の伴侶として誰かをーたぶん女性だと思うけれども、同性婚というものも流行っているらしいー

これでは配慮ではなく差別になると気づかなかったアホが教科書を書いて出版できるような国が日本なのである。「何が差別にあたるのかは定義できない」とか言い出した川辺豊が特別ひどいわけではない

では差別の羅列を始めよう

「差別されたっていうのはあんたの被害妄想じゃないの?」
(補足:発言者は学校教師)

「クラスに障害者がいるせいで俺達健常者が迷惑している。親のエゴで障害者を通常学級に通わせずキチンと養護学校にいれるべきだ」

「そんな人と遊んで何が楽しいの?」
(クラスにいた障害のある生徒と遊んだ直後に)

「差別に関する発言はセンシティブだから公の場では控えるべき」

「せんせー、何で障害のある生徒の順番を飛ばして当てるんですか~? それって差別じゃないですか~?」

「生産性がなくて税金を浪費しているだけの障害者はただのコストだから、生存権を奪って合法的に皆殺しにできるようにするべき」

「差別するなっていうのは逆差別! 俺達の『差別する権利』が差別された!」

「障害者を助ける自分に酔ってるだけじゃないの?」

「そんなひどい差別被害が現実の話とは思えない。君は何か嘘をついているのではないか」

「ただ単に君が差別されても仕方ないくらいおかしなことをしてただけじゃないの?」

「健常者様の助けがないと生きていけないんだから障害者はずっと我々の命令に従っていればいいんだ」

「障害者が権利を主張するな! 弱者利権反対!」

「健常者も苦労してんだからまずは頑張ってる健常者を救うのが先でしょ」

「この前ゲームで障害者とマッチしてさ~」
「それは差別発言だ。やめろ」
「俺は事実を言ったに過ぎない」

「この前ゲームで障害者とマッチしてさ~」
「それは差別発言だ。やめろ」
「何急にキレてるのあんた」

「この前ゲームで障害者とマッチしてさ~」
「それは差別発言だ。やめろ」
「何が差別かの議論が始まると荒れるのでこの話打ち切りな」

「こういうつらい目に遭ってきました」
「それは大変だったね」
「安易な同情は逆差別だ。つまり相手が弱く差別されても仕方ないと一方的に決めつけて真に差別してるのはお前の方」

「何で俺達が楽しく障害者を差別してるのに邪魔するわけ? 空気が読めないあんたも大概だよね」

「今の差別発言は横にいる健常者に向けたものであって、障害のある君に向かって言った訳ではないので差別にはならない」

「差別された差別されたって被害者ぶるのやめてくれない?」

「何か解決のための努力をしたの?」

「障害を言い訳にするな」

「あいつがSNSでおかしな発言をしているのは障害があるからじゃなくて単に性格が悪いだけ」

「差別されたという経験をバネにして成長しろ」

「努力して障害を克服しろ」
(スタート地点がマイナスの人間とゼロの人間では必要な努力量は絶対に等しくならない以上これは差別である。よく見かける発言だが)

「障害が理由であっても殴られたのはただの暴力であって差別には該当しない」

「差別するほうがガキなんだから君がおとなになって我慢しなさい」

「差別やめろ」
「それは差別される側からの意見に過ぎない。キチンと差別する側が何故差別するのかを聞いて中立客観的に発言するべき。君は自分の都合しか考えていない」
(補足: 発言者は上記の川辺豊)

「障害を克服して強くなれ」
(補足:この言葉はよく言われるが、私は40年近く生きていて健常者様が差別を克服するというして当然の努力をしている場面を一度も見たことがない)

近所のコンビニだが、昼間は日本人店員がいるのに夜になると外国人店員だけになる

「差別やめて」
「わがまま言うんじゃねえ」

「隣にキモいやついて嫌なんだけど」

「なんで障害者が俺に差別やめろって命令してくるわけ? 自分の立場ちゃんとわかってる?」

「障害者を笑い者にするのはやめろって何? 健常者さまの世界に入門してきたのに笑われる覚悟もなかったの?」

稀によくいる差別は倫理的に良くないから反差別やってるだけで何故差別がいけないのかすらよくわからないまま差別主義者と戦ってるやつ、お前みたいなのが一番差別的なんだよ

「障害に配慮してください」
「配慮しろだと? 健常者様に余計なことをやれというのか。わがまま言うんじゃねえ」

「差別やめて!」
「助けて! 障害者が権利を求めて暴れてるの! 警察を呼んで!」

「差別されたって何で泣いてるの? 泣きたいのは障害者と一緒にいる羽目になってるこっちなんだけど」

「差別されたって被害を訴えるのは被害者仕草でみっともないからやめるべき。加害者に言い返したりせず黙って耐えるのが被害者の美徳」

ここまで書いて元気がなくなったので一旦打ち切り。回復したらどんどん追記する

このnoteには投げ銭を設定する。それは差別被害者に慰謝料を支払いたいという奇特な人物もいるかも知れないからだ。ただしこれは断言するが資本主義自体が健常者様の世界のルールに過ぎないし、そもそも貴様らが障害者に限らず黒人やアフリカ等を差別して搾取して稼いだだけに過ぎない汚い金を受け取る気もない。なので投げ銭はかなりの高額からに設定する。ただ単に健常者様はこんなにひどい奴らだと列挙するだけで謝罪の機会を与えないのはフェアではないから投げ銭を設定するに過ぎない

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