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物理学と実在

ベルの不等式の破れが見つかって以降、物理学は実在概念のドラスティックな変更に迫られている

というか要するに物理量は全てが測定値である以上、測定器を通してみた測定値はそうであるが、測定値があるからといって測定対象は実在とは言えない。実在と測定値は別の概念であるという論理的に厳密な態度を要求されるようになっただけである

例えば現代物理学ではこのように考える
車を運転しているときに速度計が100km/hを指したら車の速度計が100km/hを指したということでありこの車が実在するともそもそも真に100km/hで走行しているとも言えない

不安になるような議論であるが事実としてベルの不等式は破れているのだから信じられるのは測定値だけなのである。測定値がどこから来たのかについてはなんとも言えないのである

しかし、実は上記の議論には一つ重大な問題がある。何故我々はそれを速度計だと判断できたのだろうか。速度計が100km/hを指していると何故判断できたのだろうか

回りくどく書いても本質を逃すので一気に話を抽象化しよう。量子論によればこの世は全て情報であるので速度計も速度計の目盛りも全てバイナリコードに変換可能である:
例えば速度計=0001、100km/hを指しているときの速度計の目盛り=0010、とか

しかしこれだけでは問題は解決しない。この世の全ては情報であるので例えばあなたの目に以下のような情報が飛び込んでくるかもしれない(電磁波のフーリエ成分と考えてもいいし映像や文章と考えてもいい。何でも符号化可能なんだから)

0001111001001011100000001100000

これだけ見てもわけが分からない

そもそも上記の情報が

0001/1110/0100/1011/1000/0000/1100/000

なのか

000111/100100/101110/000000/110000/0

なのかも判断できない

つまり、我々は情報だけを与えられても何も判断できない。車の例なら0001が速度計で0010が100km/hだと「予め知っていた」から情報を正しく解釈し測定値を得られたのである

すなわち、意識が情報から宇宙をデコードするにはそのパースの仕方や得られたバイナリ値が何であるのかを予め知っている必要がある

例えば速度計=0001、100km/h=0010という事実が記載されたモデルやスキーマを我々が予めもっていないと情報から時空は生み出せない。バイナリから宇宙をデコードするためのプログラムは外部が持つしかない(第二不完全性定理)

そして、現代物理学では実在概念は不要となったが、この情報から時空を正しくパースしバイナリ値を正しく割り当てるモデルやスキーマこそが実在の正体ではないだろうか

つまり、速度計=0001、100km/h=0010…という事実が延々と並んだモデルやスキーマのテーブルこそが物理学における実在ではないだろうか。これがないと我々は情報から時空を認識できないはずである

そして、既に宇宙が存在している以上、意識を持った存在はただ単に世界にあふれる大量の情報から教師なし学習をすればこのモデルは意識(=脳)に構築可能である

それこそが情報から時空が創発する仕組みであり、実在の正体ではないだろうか


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