人生は会社のためでなく自分のためのもの
1.「社畜」になるまで
勤め人を始めて10年ほど経った。
何気なく仕事をして、そこそこの給料をもらい、たまに合コンに行って、たまに趣味の格闘技とかに励んでいた。
人生の目的みたいなものがあるわけでもなかった。
かといって、不自由があるわけでもなかった。
人生で何を目指して走るべきなのかもわからなかったし、そもそも走るべきなのか歩くべきなのか、はたまた横になって寝ていた方がいいのかもわからなかった。
そんな風にして、入社後、約10年が経った。
ある言葉を目にした。
「社畜」
いつからこんな言葉ができたのだろう。
そしてこんなブラックジョーク的なうまい言葉を誰が考えたのだろう。
今ではウィキペディアでも「社畜」という言葉の意味が説明されている。
当時、何の目的もなかったが、何不自由もなかった僕は「おもしろい言葉だな。俺も社畜じゃねーか」と、語尾に「笑」という文字がつくような、気軽な感じでいた。
それから、数年後。
この「社畜」という言葉が、実体を伴って僕に重くのしかかることになる。
2.僕は社畜だったんだと気づく
社会人10年目を超え、会社を辞めたくなった。
もともと人付き合いが下手な僕は、職場の人間関係に苦しんでいた。
仕事自体は好きだし、給料もそこそこ良い。
しかし、元々人付き合いが下手な僕は周りの人間とかみ合わなくなり、一度狂った歯車を元に戻すことはできなかった。
いよいよもう限界かもしれない。
日々の仕事が辛い。苦しい。
そう思い、本気で辞めることを考えた。
しかし、辞めることができなかった。
僕には他に何の資格もなく、スキルもなかった。転職しようにも、転職する術すらわからなかった。そして、転職を考えた時の重いすぎる足枷が僕を捕らえる。
それは家族の存在だ。
「もし、転職に失敗したら」
転職という見えない敵に負け、家族を不幸してしまうことに恐怖を感じた。
そもそも僕は、今の職場以外で通用するスキルなんて何ひとつない。会社ではある程度の地位はあるが、外に出ればただの一市民。一体どこの誰が僕を雇いたいと思うのか。
恐怖に捕らわれ、僕は会社を辞めることができなかった。
「会社に飼い慣らされ、辞めることもできないこと」
「人生を会社に捧げること」
これは、、、
まさに、社畜だ。
僕はリアルに社畜だったんだ。
苦笑いすらできず、人生を振り返り、青ざめた。
ーーなぜ何の資格試験の勉強もしてこなかったのだろう
ーーなぜ転職を考えた貯蓄をしてこなかったのだろう
ーーなぜ自分の人生を会社に捧げてきたのだろう
3.脱「社畜」への挑戦
僕は考えた。来る日も来る日も。
考えた末に、ようやく一つの結論にたどり着く。
一度きりの自分の人生。自分の人生を生きよう。
毎朝、混雑した電車に揺られ、職場に行く日々
日曜のサザエさんを見て暗くなる日々
不眠症に悩まされながらも体に鞭打つ日々
そして何より、気の合わない職場の人間と過ごす日々
この先誰もが経験する死を目前にしたとして、僕は後悔のない日々を過ごしたと言えるのだろうか。言えるはずがない。
転職しよう。
そう決めた。
いや、正確には
辞めたくなったらいつでも辞めることのできる能力をつけよう
ということだ。
当然、すぐには転職などできない。今までサボってきた分、あまりに無知すぎた。転職するための相応の努力が必要だ。
必要な努力とは
・人生に必要な資金を貯めるための貯蓄方法を考えること
・転職に役立つ資格を取得すること
・今の会社から逃げない、自分を反省して一歩ずつでも成長すること
大きく分けてこの柱3つだと考えた。
会社にぶら下がり、突き放されても必死にしがみつくことなんてしない。
会社が突き放すなら、いつでも辞めてやる。
そう言える能力をつけなければ、一生社畜のまま、自分の人生を会社のために使うことになる。
何となく生きてきた人生に終止符を打ち、家族との幸せを掴み取るために死に物狂いで努力しようと決めた。
そして会社から逃げることができないのであれば、会社を利用してやろう。
今の会社を修行の場と考える。
難しい人間関係の中で、自分を磨き、自己啓発を図る。
困難に立ち向かい、努力した経験は、今後の人生で必ず活きてくるはずだ。
会社に飼い慣らされるのではなく、修行の場として会社を利用する。
その上で圧倒的な努力をする。
貯蓄をして、資産運用を勉強し、資格を取得する。これは自由になるための挑戦だ。
これからは会社のための僕の人生ではない。
僕のための僕の人生だ。
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