ただ、そこに在る、という贅沢
座禅に挑戦してきました。
ずっとやってみたいと思ってたのだけど、実行にまでは及ばず。
それが、たまたま今朝読んでいた雑誌に座禅のきじがあって、「座禅やりたい!今!」という気分になり……
その場で、すぐに座禅ができるお寺を調べていたら、なんとその日の夜に「夜座禅」をやるお寺を発見!
ちょうど予定もなかったし、これはもう今日やる運命だったんだと思い、向かいました。
会場のお寺に着くと、大きな般若心経の廟日。
しんと澄み切ったお寺の空気の中、この屏風の前に立つだけでも神妙な気持ちになります。
そして、屏風の前に参加者が一列に座り、いざ座禅。
開始前に座禅のやり方の冊子が配られたので、そのやり方を忠実に守ってやってみました。
呼吸に集中して、鼻からすうっと息を吸い、ふーっと深く口から吐く。
呼吸にあわせて、ひとつ、ふたつ、と数える。
それを、ただ淡々と繰り返す。
たまに余計な思考が思い浮かぶ瞬間もありましたが、意外なほど呼吸だけに集中できました。
やる前は、もっと退屈になったり、まだ?って思ったりするかなと思ってましたが…
むしろ、「なんて豊かな時間なんだ…」と思って、呼吸する一瞬一瞬を堪能してました。
なぜ、ただ呼吸してるのが「豊か」かと言うと。
今の私たちにとっては、「ただここに在る」ということが贅沢だと思うから。
私たちは、常に「何かをすること」に駆り立てられています。
それは、仕事や社会や、家族の中での役割。
もしくは、手のひらほどの端末から世界中のありとあらゆる情報に繋がり、コンテンツを消費することだったり。
まるで、私たちは「意図的に何かをしないと」生きていけない生き物みたい。
でも、坐禅をしてるときは違うんです。
ただ、そこに在るだけでいい。
正々堂々、何も考えない、何もしない、ということが許されるわけです。
(むしろ、推奨されている…!)
私は、なんかもう、鳥肌が立ちました。
自分の中から、がんじがらめの思考が消えていって、どんどん透き通っていく感じとともに、その瞬間は何にも縛られてないことに気付いて。
ね、そんなの、贅沢でしかないでしょう。
今日は、20分の坐禅を2回行ったんですが、ほんとあっという間でした。
座禅、すごくよかった!
これから、できるだけ毎日3分でも5分でも家でやってみようと思います。
(飽きっぽいのでいつまで続くかな…)
ただ、在るだけでいいんだよなぁ、ほんとに。
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