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弱い犬ほどよく吠える

ウチの飼い犬は、旦那に対してだけ、異常によく吠える。

旦那はその姿を「悪魔を見ているよう」と称するが、なかなか的確だ。

全身の毛を逆立てて、足と背筋をぴーんと伸ばし、わんわんわわわわわん!!!と、この世の終わりみたいな声で吠える。

これぞ、「恐れ慄いている」という感じ。


それを見ていると、思うのだ。
自分を必死に守ろうとしている時というのは、こんなに力んでいるものなんだなぁと。


私は、長らくずっと、こんな感じだった。

「デキる自分であらねば」といつも必死。仕事は全力でやっていたし、部下にはビシバシと厳しいことを言いまくる。
当時の部下たちに会うと、「昔の博美さんの厳しい言動」をよく回想してネタにされるのだが、今聞くと笑っちゃうくらい生意気だ。実際、向かうところ敵無し状態だったのだ。

でも、本当は、いつも怖かったのだと思う。
「デキない自分」になってしまうこと、すなわち、「価値がない」自分になってしまうことが。
だから、自分より成果が出ている人を素直に喜ぶことができなかった。

結局その後、部署異動したものの思ったように仕事ができず、元の部署に戻っても異動してきた同僚にアッサリと抜き去られてしまい、心がぽきりと折れてしまった。
お陰様で、自分の在り方を見直す機会をもらって、今に至る。



当時の私は、きっと旦那に向かって吠える愛犬のようだったのだ。

自分の安心安全な領域を守るため、必死に吠えていた。
自分の価値を信じられない、条件付きの自分しか認められないという弱さがあるからこそ、怖くて怖くて必死に吠えるのだ。


でも、それではどう考えたって幸せなんてなれっこない。

幸せって、もっと、日当たりの良いベランダで、だらしなくお腹を出しながら横になって寝ているようなものであるはずだ。


それに気づいた今、私はもう必死に自分を守ることをやめた。
私は、できないことばかりだし、失敗もするし、そんなに頑張れない。
そうやって匙を投げたら、幸せだと感じることが日常に一気に増えた。特に、背景は何も変わっていないのに。



だから、旦那に向かって必死に吠える愛犬を見て、思う。

大丈夫、世界は、そんなに怖くない。
そのままのあなたを、誰も脅かしはしないよ、と。

残念ながら言葉は通じないので、私は見守るしかないが。
きっと、いつか、愛犬が旦那の前でお腹を出して寝転がる日が来ると信じている。


それまで、旦那よ。少しの間、我慢しておくれ。



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