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目立つことが嫌い・人と違うと不安になる・自分で決めることに自信がない自分

最近オンラインでワークショップをする機会が増え
毎回いろいろ企画を練っています

私たちの専門性を生かしたものがいいのか
フィンランドらしいものがいいのか
保育
教育
社会福祉
障害
不登校支援

いろいろ考えますが毎回ワークショップをするたびに感じる
私たちの価値観がちょっとずれているのではないかという違和感

なぜ私たちがこの価値観に至ったのか
まず原点に戻ってみようということで今回のワークショップの
テーマが決まりました
(このイベントは現在終了しています)

そもそも、omenaを作った人たちが
どんな環境で育ち
どんな経験をして
フィンランドに住んだのか

私たち自身について話す機会は今までなかったので
学生時代と社会人編に分けてお話します

幼少期

私は3大地方都市と言われる場所で生まれ
幼少期はいわゆる「機能不全家族」の中で育ちました

幼児教育について勉強していく中で、幼少期の愛着関係の大切さを知り
なんとなく自分の生きづらさの根本はここにあったんだなと気づくことになります

自己肯定感が低く
場面緘黙
人と違うことをするのが恥ずかしくて
当時では珍しかったピンクのランドセルを買ってくれると言った両親に大泣きして「みんなと同じ赤いランドセルじゃないとやだ!いじめられる!!」と反対したのを覚えています。みんなと同じことをしていないと安心できない、目立つことが大嫌いな子どもでした

小3の時にあった学芸会で「不思議の国のアリス」をやることになり
先生が脚本を用意し自分でどの役をやりたいか決めるように言われました。
私が選んだのはトランプの兵隊
理由は1人セリフが「あ!」だけだったから
一番少ないセリフを選びそれでも失敗しないか毎回ドキドキしていたのを覚えています

学校が終わると毎日塾やそろばん、水泳、習字、ピアノ、スケートなど習い事があり、特にやりたくもないけど学校と同じように行かなければいけないものと思い行っていました。

学生期

中学では2年の時に仲の良い友達と離れ誰も友達のいないクラスになったことで新しい友達作りに失敗。でも1人でいることが恥ずかしくて、悪目立ちしているようで学校に行きたくないと毎日思っていました。

みんなが私の悪口を言っているんじゃないか?
みんな私のことが嫌いなんだ
誰も信じない。話かけてくれてもグループには入れてくれないじゃん
明日隕石がぶつかって地球がなくなれば明日学校行かなくてもいいのに…
なんてことを毎日考えていました

今考えれば仲良くもない子と無理やり一緒にいるくらいなら1人でいればいいのに・・・と思いますが、10代の時は家と学校が自分の世界のすべてだったのでこれは大きな問題でした

しかしこの頃は両親とも忙しく、夕食はテーブルの上にお金が置いてあり自分と妹の分の夕食を毎日外で買う生活をしていました。
親とほぼ顔を合わせることもなく忙しそうにしている中、自分のことを相談することもありませんでした。

進路は親に言われるまま決めて高校へと進みました
高校に入ってから部活を通して良い友達に出会えたことでやっと学校が少し楽しくなりました

高校卒業後の進路を決める時高校時代に特にやりたいことも好きなこともなく親に勧められて保育科のある短大へ進学

短大に進むと周りのクラスメイトはみんな「子どもが好き」「子どもの頃大好きだった先生がいてずっと保育士になるのが夢だった」そんな人たちばかりで、なんとなく保育の道を選んだ自分がここにいてはいけないような気がして私も「子どもが好き」という仮面をかぶっていました

そのまま2年過ごして行くと本当に自分は子どもが好きだったような気持ちになってきて昔から保育士になることが夢だったかのように思えました

自分の気持ちに嘘をついていたことで幼稚園教諭として就職した後に苦しむこととなります・・・それはまた社会人編で


自分の決断が信じられない

ここまで子ども時代を振り返ってみても私は自分の将来や自分自身のことについて自分で決めたことがありません。親のいうことを聞く「いいこ」でいたので自分のやりたいことより親のやってほしいことが優先でした

親元から離れ大人になっても自分で決めた経験がないので自分の判断に自信がなくいろいろな人に意見を聞いて、いい、悪い、やる、やらないを決める

当たり前ですが相談した人によって意見が違うので決められず最終的に占いに行ってみたりして全ての判断は他人の意見で決めていました

だから判断が間違っていても自分のせいじゃない
でもそれがいい結果だったとしても自分で決めたことではない

いつまでも自分のことが信じられなかったのはここに原因がありました

ちょっとしたことで不安になりやすかったり
嫌われることが怖かったりとにかく精神的にも弱く
生きづらさをずっと感じていました

この生きづらさを解消しようと色々と本を読んだり大学へ編入したり、研修やワークショップに参加するようになり、あるきっかけでデンマークの保育園の視察にいったことでフィンランドの教育に興味を持つようになりフィンランドに1年間住み保育園でインターンをすることになるのですが

英語もできない、フィンランド語もできない
海外に住んだ経験もないのにいきなりフィンランドの保育園で働けるのか

不安はいっぱいありました
でもその時は絶対フィンランドに行くと決めていました

フィンランドでの生活はさらに自分と向き合うことが多く
今まで蓋をしてきたこの子ども時代と向き合うことで精神的にも落ち込む
日々が多かったです
でもこの時期に過去と向き合い、子どもの頃に親にいいたかったけど我慢していたこと、クラスメイトにいいたかったけど言えなかったこと、本当はしたかったこと、ずっと蓋をしていた自分の気持ちがやっと開放されて素直に自分の気持ちを言えるようになったり、「人は人 自分は自分」と心から思えるようになりました

きっと今までの自分だったらこの楽しいとも言えない10代の話を人にすることは絶対ありませんでした
ワークショップを通していろいろな人と出会って、フィンランドに住んでいたという話をすると「なんでフィンランドに行ったの?」「いいな〜」と言われることがあります。
この「なんで?」を説明するにはキラキラした理由があるのではなく
この幼少期から社会人になってもずっと感じていた生きづらさをフィンランドに魅せられて行った先でようやく昇華することとなるのです

そしてフィンランドでchisatoと出会いomenaがスタートしますが、先日のワークショップでこの話をchisatoとしていて私たちがなぜ似たような価値観で話ができるのかお互いの幼少期、学生期に持っていた悩みや気持ちを聞いたことで気付きました


yakko

ワークショップのご案内

フィンランドの教育現場が考える”みんな違ってみんないい”
〜自分と自分の気持ちを大切にする教育〜
2020.6.21 sun 20:00-21:30 @zoom

「みんな違ってみんないい」

これは幼少期みんなと同じでないと嫌だった私がフィンランドの保育園で働いてこの教育を受けている子どもたちが羨ましいと思いました
日本でも今この言葉がいろいろな場所で聞かれるようになり改めて皆さんとこの言葉の意味を考えてみたいと思い今回のテーマにしました

フィンランドでは幼少期から自分の気持ちを表現することを大切にしています
自分の気持ちを表現することで
相手にも気持ちがあること
そしてそれは必ずしも一緒ではないこと
みんなそれぞれ違うことを学びます

フィンランドの教育が大切にしていること
日本でいう学校教育法や保育所保育指針で求められている子どもの姿や
フィンランドの教育現場で実際にやっている感情を表現する方法
フィンランドの現場で起きている不登校、うつや精神疾患の現状
休校中の遠隔ケアの様子についてお話しする予定です

お申し込み、詳細はこちらからお願いします
http://ptix.at/71g5oI


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