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高麗博物館と映画「福田村事件」

今年は大正12(1923)年 9月1日に発生した関東大震災から100年という節目の年であった。

大正12年当時、筆者の祖父は東京の日本橋に住していた。 地震が発生した時は14才。隅田川を避難する渡し船はすでに満員だったものの、それに飛び乗ったという。船頭に「女子供が優先だ、もうお前は大きいから降りろ」と言われたもののしがみつき、船は出発。残された方々は亡くなられたとの事。「あそこで船に乗らなければ命はなかった」 と、この話を何度もしてくれたのを覚えている。

故あって、毎年9月1日の防災の日には私も日本橋へ赴き、慰霊法要を行ってきた。

しかし今年はなにやら不穏な空気が漂っていた。その大きな理由は、松野博一・前官房長官の「(関東大震災当時の朝鮮人虐殺について)政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」とする発言である。

関東大震災時の朝鮮人虐殺 「記録なし」の見解崩さず 松野官房長官
(9月1日・東京新聞)

恥ずかしながら筆者も、震災当時の朝鮮人虐殺について積極的に学んでこようとしなかった。身に迫るものとして考えるきっかけになったのは、今年の春に手に取ったこの漫画だった。

読後、暗澹たる気持ちになり、関心を抱き始めた。毎年慰霊法要を行っていたというのに、虐殺された方々を悼むという心をこれまで抱いてこなかった自分を恥じた。

そして迎えた夏。大震災から100年を節目に、追悼行事や大小さまざまな企画展示が営まれた。中でも大きな話題となったのは、新宿区の高麗博物館で開催された関東大震災100年ー隠蔽された朝鮮人虐殺展と、ドキュメンタリー・ディレクターの森達也が劇映画に初挑戦した映画『福田村事件』だった。

これら2つも、漫画同様、暗澹たる気持ちで観た。なぜなら自らも抱える加害者性に嫌でも眼を向けざるを得なかったからだ。

私たちは誰もが被害者にも加害者にもなり得る。たまたま今、平常心を保てているだけで、誰にだって狂気が潜む。それをまざまざと見せ付けられる機会は、重苦しくも、今の私には必要な学びとなった。

冒頭に引用した東京新聞の記事の文末には「虐殺を巡っては、事実そのものを疑問視したり否定したりする言説が広がり、歴史の風化や歪曲が懸念される。」とある。

関東大震災から100年が経った。我々には決して風化されてはならない、歪曲してはならない過去があるように思う。そしてそれを糧にしていかなければならない。

約10万5千人ともそれ以上とも言われる死者・行方不明者の方々に、改めて深くご冥福をお祈り申し上げたい。


Text by 中島光信(僧侶)


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