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ポスト・コロナの祈りのかたち

全国の社寺の対応

まず、新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)の感染拡大に伴う7都府県への緊急事態宣言(4月8日発令、対象地域は東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡)を受けて、各地の社寺の対応を以下に記す。(※4月11日現在)

増上寺(東京都港区)
部分的に閉所、大殿本堂は外から参拝のみ。各種祈願、御守等の頒布は無し。

川崎大師(神奈川県川崎市)
当面の多くの行事を中止。

三峯神社(埼玉県秩父市)
社務所等を閉鎖、境内への立入禁止。

成田山新勝寺(千葉県成田市)
大本堂と交通安全祈祷殿を除いた諸堂を閉鎖。諸行事や体験修行等はほぼ中止。

四天王寺(大阪市天王寺区)
境内全域(全お堂から墓地に至るまで)を閉堂。聖徳太子創建以来初。

書写山圓教寺(兵庫県姫路市)
窓口を縮小、行事は延期または内々にて執行。

太宰府天満宮(福岡県太宰府市)
営業時間短縮。

今後状況に応じて更なる追加措置が考えられるが、いずれの社寺も、毎日の神前への祈り/読経や、永代供養へのお勤め、疫病退散祈願などは、在籍する神職/僧侶が欠かさず行っているとの事。

ここには7都府県の代表的な社寺の例を挙げたが、無論、全国に数多ある社寺は、各々がそれぞれの対応策を取っている。「外出自粛でどこも閉まっているが、社寺ならば開いているだろう」とお思いの方も、ぜひ足を運ぶ前に、訪れる予定先のホームページ等で最新情報を確認して頂きたい。

「つつじ寺」の一例

卑近ながら、筆者の現在在籍する寺の状況も、一例としてここに記しておきたい。寺は緊急事態宣言の出された神奈川県川崎市に位置する。
つつじ寺」と呼ばれ、4月中旬~5月上旬までのつつじシーズンが、例年人手のピークを迎える。つまり今まさに参拝者対応に頭を悩ませ、寺(公益法人)として待った無しの判断が迫られている渦中にある。
寺の境内が近隣住民の生活道路を兼ねているので閉鎖はできず、しかし連日大勢の花見客で溢れかえるという事態は、何としても避けたい。

ホームページや書面・刊行物では自粛をお願いし、例年のマスコミ各社の取材は全てお断りした。しかし「毎年の習慣としてこの時期に参拝に」来られる不特定多数の方(習慣なのでホームページ等は確認しない)に対しては、境内に立て看板して注意喚起を促すしか手がないのが現状。せめてお手水の柄杓や椅子などの触れるものを、撤去したりこまめな除菌・消毒を徹底するしかなく、頭を悩ませている。

我々は何を大切にしていきたいのか

対策を講じているうちに最善策も新陳代謝していってしまう、こんな先行き不透明な時こそ、宗教施設は人々の祈りの、安息の、拠り所にならなければならないし、宗教者は祈りを疎かにしてはならない。
しかし局面は刻一刻と変化し、ひとつき前までの考え方では通用しない世界に突入してしまった。

冒頭に列記したように、各地の社寺も規模を縮小して対応しながら、祈りは在籍する神職/僧侶が内々で行うかたちに移行している。
「祈りたい」原初的な衝動は古今東西不変でも、祈りの形式は変えられてしまった。今後は宗教施設という「場」の役割も問われてくる。

近い将来、感染拡大が収束したのち、つまりポスト・コロナの世界は、これまでと様相を変えることは確かだ。儀礼のあり方や社会制度等、影響を被ったさまざまなものごとには、従来通りのかたちに戻ろうとする力が強大に働くだろう。しかし完全に元通りにはならない。
このコロナ禍を通して生じた疑問があったとすれば、その疑問をなかったことにはできないし、抱いた問いがあったとすれば、それは命題のように今後の人生に降りかかる。真摯に向き合おうとすればする程、なかったことにはできない。知らなかった頃にはもう後戻りできないのだ。

日々さまざまな事を思い知らされているこの現状を、どう生存するか、どう忍ぶか、どう捉えるかが、今後の生き方を規定していく事になるのだろう。


Text by 中島光信(僧侶・ファシリテーター)


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