ひよっこ「母不在の東京」が暗示するもの みね子は「昭和のおっかさん」化、だから懐かしい?


 NHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」は、さまざまな深読みが可能なドラマだ。その一つが、なぜ、奥茨城村の家族はどこも父母が揃っているのに、東京の家庭はどこもみな「母不在」の片親なのだろう、という疑問だ。「母がいない東京」は、何かの暗喩なのだろうか。


 赤坂、という場所柄だろうか。まず、主人公のみね子(有村架純)が働く「すずふり亭」のシェフ省吾(佐々木蔵之介)は妻が他界、一人娘・由香(島崎遥香)は母不在の中で育った。その由香を慕う幼馴染、近所の和菓子屋の一人息子ヤスハル(古舘佑太郎)も、母が描かれていない。

 いや、赤坂に限らない。みね子の幼馴染で、一緒に就職で上京した三男(泉澤祐希)が働く米屋でも、店主(斉藤暁)は妻に先立たれ、跡取り娘さおり(伊藤沙莉)もまた「母なし子」だ。

 さらに、みね子が初めて付き合った男性、九州・佐賀出身の島谷さん(竹内涼真)も、父は登場したが、母は(いるのだろうが)姿を見せないままだった。

 みね子もまた、東京へ出てきた時は「親不在」の娘だった。父が失踪していたからだったが、発見されて村へ帰った。

 これらは一体どんな符号なのだろう。

「東京=母なるもの不在の土地」、なのだろうか。

「東京=子供たちの居場所=都市としての青春時代」を暗示しているのだろうか。

 そして、そんな中、ここにきてみね子の立ち位置が「母なるもの」的になってきている。

 例えば、幼馴染の時子(佐久間由衣)への対応。コンテストで優勝し、一気にスターへの道が開けたものの、180度変わった環境に戸惑い不安に駆られる時子。荷物を取りにだけ帰ってきた時子が泣きそうになった時、みね子は自分より背の高い時子をぎゅっと抱きしめた。ぽんぽん、と背中をたたき、「大丈夫だよ」と励ます。まるで母が娘にそうするかのように。

 また例えば、由香への対応。意地を張って実家に帰れなくなっている彼女を、無理やり店へ引っ張ってきて手伝わせた。ややおせっかいながら、大きな愛が原動力になっているのが分かる。

 さらには、大女優ながら芸能界を干された川本世津子(菅野美穂)への対応。マスコミに家を包囲され外出もままならなかった彼女を救い出す時、大きなスーツケースを持ち出そうとした世津子をぴしゃりと叱り、てきぱきとコトを進めた。

 この土着的などっしりした安定感、おせっかいなまでの愚直な人の良さ。地味で派手さはないが、安心できる、まるで白ご飯のような存在。ああ、これは「昭和のおっかさん」ではないか。

 「母なるもの不在」の「東京砂漠」に現れた「母的なるもの」が、みね子なのだ。正直で、まじめで、裏表がなくて、人が良くて、優しくて、愛にあふれていて、あったかくて……みなが安心して包み込まれる存在、「おっかさん」。または、「おばちゃん的」とも言える。一昔前まではどこにでもいた、おせっかいで世話焼きで親切な「近所のおばちゃん」だ。だから、ひよっこは、「何となく懐かしい」と思えるドラマなのかもしれない。

 ちなみに、蛇足ながら。奥茨城村ではみな大家族で、どこも兄弟姉妹が複数いたが、東京でみね子が出会う若者はみな一人っ子だ。田舎と都会の対比を際立たせるためだろう。とはいえ、やや少なすぎる気もする。昭和40年代の20代をリアルに描くのならば、いかに都会とはいえ2人きょうだいぐらいが標準ではないか。ま、これだけよくできたドラマなら、ご愛敬、ですが。

(2017.9.16、元沢賀南子執筆)

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?