時間貧乏

可処分時間 第一段階

子供が赤ちゃん時代。自分は赤ちゃんの生命維持装置として24時間年中無休で赤ちゃんのサポート役なので、可処分時間は実質ゼロ。むしろマイナス。自分の生命維持に必要な分(睡眠、休息、食事、排泄の時間でさえも・・)も削って赤ちゃんに捧げることになる。

可処分時間 第二段階

子供が自分と母親が別物であることを認識。マイナス分は無くなる。起きている時間は全て「かまって」「見て」の時間なので、基本的に可処分時間ゼロだが。子供がまとまった時間眠ってくれれば自分も眠れるし、一応トイレにも行かせてくれる。子供が自分で食べものを口に運べるようになれば、自分も一緒に食事できる。

可処分時間 第三段階

子供が幼稚園、学校などに行くようになると劇的に変化。日中、子供と自分の時間が分離する。これがまるまる可処分時間となる。ここで短時間の労働をする人も増える。しかし子供が家に帰ってきたら、宿題など学習の面倒をみる必要はある。あるいは学校のPTA活動が重くのしかかる場合もあり。

可処分時間 第四段階

子供が思春期になり、さまざまな思いに揺れる時期。生活のお世話や学習のサポートをする必要が無くなる一方で、メンタルサポートが重要になってくる。物理的には自分の可処分時間はかなり増えているが、子供へのサポートはかなり高度の思考を必要とするので、真剣に向き合うならある程度の時間をかける必要はあるだろう。子供と対話する時間だけでなく、自分が子供について考える時間を長く持つ必要がある。

私はイマココなので、この先は実感として語ることはできない。

私は第二段階からフルタイムで会社員として働いていたので、子供が生まれてからずっと、可処分時間はマイナスだった。どう考えても足りない時間を補うために、どうやって毎日を生き延びるか、効率を考えに考えて、全ての動作を素早く、頭の中はいつも次の行動について意識して生きていた。

それはとても貧しい生活だった。金銭的にではなく、時間的に極度の貧乏だったと思う。だから道をゆっくり歩いている人を見ると蹴り飛ばしたくなったし、買い物のレジで丁寧でゆっくりした接客をされるとイライラを抑えきれなかった。もちろん、仕事が遅い人にもイライラし、時にはかなりキツイ態度を取ってしまった。病んでいた。毎日をゆっくり過ごしている人達がうらやましくて仕方なかった。時間貧乏は、心を蝕む。恐ろしい。

今こんなご時世なので、ここ1年ほどテレワークの日が多く、通勤が無いだけでこんなにも楽なのかと驚くばかりだ。いつもより遅く起きても朝ごはんをゆっくり作り、ゆっくり食べ、化粧して着替えして、ストレッチをやって、ゴミ捨てに行ってもまだ就業時間前だ。仕事自体は忙しかったけれど、家にいることにより、さまざまなことが可能になる。宅急便の荷物の受け取りはもちろん、ちょっと目についた汚れもさっと掃除できたり、仕事のかたわら洗濯機を回したり、お昼も自炊して出来たてのものを食べられる。夢のよう。大きな声で嫌な発言をする人も周りにいないから、仕事にものすごく集中できる。その上平日に多少の家事ができるから、週末には趣味の時間も多く持てる。とてもとても、幸せな時間。

そして2度目の緊急事態宣言の今、仕事自体もペースダウンしてしまった。今の私には可処分時間が潤沢にある。今や大富豪の気分だ。こんな時間は長くは続かないことは分かっている。だから思い切り、この大富豪気分を味わい尽くそう。

時間。それはなんと贅沢なものか。これよりも幸せをくれるものが、他にあるだろうか。


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