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40歳、公務員、独身。#1書いてみたいから、書いてみる。

40歳こんにちは。

2022年6月。40歳になった。40歳になってしまった。
40。孔子先生によれば「四十にして惑わず」
ロックバンド「怒髪天」の楽曲にも、「不惑」を扱ったものがある。

40歳、公務員、独身のわたし、である。
30歳で正採用となり、10年ひた走ってきたら、40歳独身の自分ができあがっていた。

「40って、もっと“40“だと思ってました!」

知人曰く。「40って、もっと“40“だと思ってました!」
若いころに見ていた「40歳」は、もっと落ち着いていて、なんならちょいと老けていて、中学生くらいの子どもがいそうなイメージがあった。私が15のとき、母が40だったからだ。

しかしナウ現在。40を迎えても未だに「若い」と諸先輩方から言われるのである。
自分自身はまーったくもって、そんな気がしない。

今日、手元の小さなものを見ようとしたが、焦点がすぐに合わなかった。
ちょっとした段差でつまずいたり、立ったままで靴下が履けなかったり。
体幹については年齢関係なく個人の問題か。

「人生100年時代」なら、まだ4割?

諸先輩に「ワタクシも、もう不惑なんですが。」とこぼしたところ、「それは“人間五十年時代“の話です。」と返された。
「人間五十年 下天の内をくらぶれば」の一節は、当時の人の一生が50年で終わるという意味ではないそうだし、孔子先生も70歳分まで書いてらっしゃる。

だが、明治・大正時代の平均寿命も45歳前後だったそうだ。ざっくりネット調べやけど。明治時代から約100年後。日本人の平均寿命も40年ほど伸びている。なんという大躍進。
平均寿命80歳としても、40でようやく折り返し。人生100年時代と言われる現代、40で4割とすれば、諸先輩方の「若い」発言もあながち拒否しきれないのかもしれない。

自分で言うのは痛い。他人に言われるのはもっと痛い。

これまでも折に触れ、面白がって「○○歳独身」のワードを使ってきた。
ところがマジで「大台」に乗ってしまった今、「40歳独身」の自虐ワードが「かなり痛い」感じに思えてきた。
自虐ネタを振るのは、周りにとっても迷惑な話だろう。笑っていいのかどうか、判断に迷うもの。自分で面白がって言うのはいいとして(イタイけど)他人から同じこと言われたら直球で傷つくし。けれどなぜだか「40歳独身」の主題で何か書いてみたいとは、昨今じわじわ思っていた。

30代を振り返り、次の10年へ。

20代は刹那的、30代は我武者羅だったように思う。そして40を迎えた今、「40歳、公務員、独身。」という自分の「今の思い」を書き留めておきたくなった。
今回「#1」とナンバリングしてみたが、ここで満足して次の更新はないかもしれない。が、それも私。「自分の人生の棚卸し」と思って、少し振り返りをしてみたいと思う。

どーでも文章のオチに、超どーでも情報だが、「人間五十年」のくだりを調べるため、織田信長をwiki調べしてみたら。
信長が死んだ400年後に、私が生まれてた。

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