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「君を忘れない」ー鹿児島上陸2日めー

鹿児島に行くなら「知覧特攻平和会館」を。

鹿児島旅2日め。友人のattendにすべてを委ねていましたが、「知覧特攻平和会館」はマストで入れてくれ! とお願いしたのでした。
以下、にわか知識ですので、抜けや認識不足が多くあろうかとは思うのですが、自分の思うところをまとめていきたいと思います。自分のために関連リンクなどもつけとく。

(知覧特攻会館ホームページより抜粋)
第二次世界大戦末期、沖縄本土がアメリカ軍の攻撃を受け、日本における最前線が沖縄となっていた。その最前線を守るために作られたのが「特攻作戦」
「特攻作戦」とは「重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず" 死ぬ" という『必死』条件の作戦」である。
https://www.chiran-tokkou.jp/

館内には、特攻作戦で亡くなった戦士ひとりひとりの写真、家族や恋人へ宛てた最期の手紙、さまざまな思い出の品が展示されていました。
ここでふと「亡くなった戦士」と述べたものの、兵士? 人? 男…? どういう呼称が適切なのか、決められない自分を自覚しました。一番に「戦士」が浮かびましたが、戦士と呼ばれることが、彼らにとって喜びになるのだろうか。でも「人」というのも、反対にぼやけてしまう気がして、何とも言えない複雑な思いでした。

不時着した零戦

2015年撮影 アメリカ 国立航空宇宙博物館
手前の緑が零戦(のはず)
奥の銀がB29(大きさ比較してほしい)

特攻隊員は日本全国から集められ、最年少は17歳、上は32歳だったそう。

家族、恋人、生まれたばかりで顔も見られていない我が子に宛てた、突撃前最後の手紙。私が見た限り、ほとんどの手紙に「皇国のため、務めを果たす。」「立派に死んでくる」「ひとつでも多くの敵を巻き込んで、己の血潮を敵機にぶつけてみせる」といった、当たり前だけれど、そういう、「お国のため」の言葉しかなく。
そしていっぽうで、「お母さんには知らせないでください」という一言が添えられている手紙もあり。
「やはり『母』には、自分が死ぬことを伝え難いのか。」胸に詰まるものがありました。

特攻隊について描いた映画といえば、私が見たのはこれでした。ラストシーンの台詞は今でも覚えています。

知覧特攻隊で「お母さん」と慕われていた実在の女性(知覧特攻平和会館でインタビュー映像も流れていました)を描いた映画。こちらは未見ですが、現地でちょっと勉強した今、見てみたいところです。

アメリカの博物館にも零戦や特攻隊の情報、展示がされているようで。
特攻隊により被弾した米軍空母の研究レポートの展示を見ました。すべてを覚えてはいないのですが(メモだけでもしておけばよかった)「特攻が成功した6つの理由」が挙げられており。
・必ず成功させるというマインド
・緻密な計画
・的確なオペレーション
・精巧な技術
などがありましたが、最後の6つめに「Luck(運)」とありました。運て。
何と言っていいのか。見れば見るほど、説明しきれない気持ちになりました。
もし、これからの生活で「戦争」というものが本当に目の前に迫ってきたら。
今、遠くない場所で目の前に「戦争」がある人たちに、私は何ができるのか。
今はまだ、安全な毎日を過ごせている私が何をすればいいのか。
私にできること、私がすべきことはこれです、と、明言することも怖い。と思うのが、今の私です。
どうしようもないことが我が身に降りかかったとき、自分にとって近しい人を守るだけで精一杯なのかなぁ…と、難しい気持ちになりながら、会館を後にしました。

海の特攻隊「回天」について描いた映画。原作も秀逸です。

指宿…そんなヤツだったのか…。

知覧で美味しいお昼ごはんとお茶をいただいて。引き続き鹿児島の左側を南下。一路指宿へ向かいます。砂蒸し風呂を体験したかったのです。
ところで。指宿着いたら、コレもんだったんですが。

イーブイ。イーブイ。どこ見ても、イーブイ。
イーブイすき、イーブイすき、イブイすきイブイすきイブすきイブすきいぶすき 指宿 ワーイ!!! ってなるかい。
町おこしに対する自治体職員の苦労? が偲ばれる鹿児島2日めでした。
砂蒸し風呂は、「10分目安で上がってね」と推奨されているところ、20分は余裕で埋まっていられそうな冷え性でした。

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