「みんな。じぶんがかわいい」という事実と、プレーヤーになろうという話。
いまは、会社として「リモートオフィス」の準備をすすめています。
先日ドイツで働く友人から聞いた話をしたいと思う。
ご存じの通り、現在ドイツではコロナウィルスが流行っており、多くの企業が自宅勤務を進めている状況である。ところが、その友達の会社では、まだ自宅勤務は始まっておらず、公共交通をつかって社員が出社している状況であった。
正義感の強い友人が現状を訴え、「いつからリモートオフィスができるのか?」と上司に提言した。
すると上司は「すべての社員がきちんとした環境で仕事ができるように整備中。まだまだ調整のための日数が必要だ。」と回答した。
「明日の予定は?」「わたしは在宅勤務」
そんな中で、友人は聞いてしまったのだ。その上司は翌日に諸事情で「在宅勤務」を取得することを。もちろん、状況があって上司が在宅勤務を取る必要があることはよくわかる。けれども、あれだけ「皆平等に」「まだ準備が・・・」といっていた口から、「じぶんは諸事情で在宅勤務」なんて言葉が出たことに、友人は言葉を失ってしまったのであった。
だれがわるい、いいのはなしではなく、人間そういうもの。
この話は上司を責めるでもなく、友人がかわいそうという話でもない。
結局はじぶんの身はじぶんで守るというすごく当たり前の話なのだ。
もし会社が自宅勤務を許さず、自分が家族が心配なのであれば、有給休暇をつかうことも考えられるし、上司に条件を提示することだって考えられる。
大切なことは、「上司が・・・」とか「会社がやらないから・・・」とかではなく、建設的な議論や提案を自分が行えるかという点にかかっていると思うのだ。ただ「棚からぼた餅」を待っていても、じぶんにチャンスは来るわけではないし、じぶんのことを率先して自分でチャレンジしていく姿勢が大切だ。他人に任せ始めると、考えることをやめ、行動する力が弱まっていく。
だれかのせいは、やめときましょう。(観客よりもプレーヤー。)
野球の試合はストレス発散になるという。どこかで聞いたはなしだけれど、労働階級の娯楽である野球は、観客は好きなだけヤジを飛ばすことができる。ふだん上司からヤジを飛ばされる立場にあるものが、高給取りの野球選手にむかって「胸いっぱいのやじ」をぶつけている光景は珍しくない。
けれども、そればかりじゃ自分の人生がさみしいと思うのだ。ヤジをとばしていても、じぶんが主人公になることはない。
どんな人だって、生まれた瞬間から、じぶんという名の物語の主人公。だとしたら、精いっぱいいきて、だれかのために働いて、楽しかったと死ぬときに言える人生がいい。
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