見出し画像

「誹謗中傷」はダメだが、「批判」なら良いのか?

先日も痛ましい事件がありましたが、実際身近なところでもSNSでのやりとりから発生するトラブルや、そこまで至らないにせよ人間関係が壊れてしまうケースが多々あります。

その中で、特に最近は「誹謗中傷」という言葉が良く聞かれます。
この言葉と対になって語られるのが「批判」という言葉ですが、今回はこれらの言葉をもう少し掘り下げながら、ネット(特にSNS)における情報発信に関し再度考え直しつつ、今後自分が文章を書いていく上でも注意していきたいと思います。

実際、「批判」と「誹謗中傷」の違いを考える際、まずは言葉の辞書的な定義を見るべきですよね。(Web検索なので「Goo辞書」から引用)
【批判】
1.物事に検討を加えて、判定・評価すること。
2.人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。
【誹謗中傷】
根拠のない悪口を言いふらして、他人を傷つけること。

なるほど。ネット、特にSNSの世界では当然他者の目を意識して情報発信しているとすれば、「批判」に関しては2の「誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じる」の方が実態に近いですね。また、「誹謗中傷」に関しては『根拠のない悪口』というところがポイントになってきそうです。
また、『批判と誹謗中傷とを混同しないようにしよう』というような話もよく聞き、この文脈でそのまま解釈すると批判はOKなもので誹謗中傷はNGなものということになります。

では、「根拠がない悪口(=誹謗中傷)」を避け、「根拠に基づいて、誤りや欠点を指摘して正すべき」趣旨であれば批判なのでOKなのかというと、昨今の状況を見るとそうも言えないのが言葉や表現の難しいところです。
というのも、最近の傾向として「叩かれる対象が何かのきっかけを作り、それを契機に一気に批判が高まる」傾向があり、そうこうしているうちに表現がエスカレートしていく(悪口の域に達してしまう)ように思えるからです。イメージとしては、はじめは定義通り「欠点を論じて正すべき」趣旨だった話(種火)が、その数が増えることで当初予定以上の力を持ってしまい(燃え上がる)、そこに批判ではなく誹謗中傷の意図を持った意見も加わって(さらに燃料投入)ダメージが大きくなっている構造が見えるからです。

実際にはいろいろなケースがあるので強引に類型化するのも難しいですが、「誹謗中傷」部分がなくても、それ以前に「批判」が多数集まるだけでもそれが数のパワーとして対象者を傷つけることもあるのでは、と思うわけです。想像していただきたいのですが、小学校でA君がクラスメートに暴力を振るってしまい、学級会で「暴力はよくないと思います」と言われるのは「批判」であってそれ自体は正しい行為でしょうが、次々と「僕もそう思います!」「私もそう思います!」となってきたら、A君はさすがに辛くなってしまいますよね。学級会なら、まだ批判する側の人は普段から顔見知りだし、かつその範囲も「見えている限り」ですが、SNSのように知らない誰かから、無限(と思えるぐらい)に批判が来る、という構造は想像を絶する恐ろしさですよね。

それなら「批判」自体も絶対にしてはいけない行為かと言うとやっぱりそれも違って、人と人が一緒に生活する以上、「きちんとした意見が述べられない環境」も正しくないと思います。
私自身も、今後文章を書いていくうえで、自分の意見と相容れないものは何らかの形で否定をするでしょう。その際、できるだけ論理的、かつ言葉を選んで書くことで、まずは「誹謗中傷」にならないよう注意したいですが、仮に根拠に基づく論理的な批判を行ったとしても、それがその後どういう形で他者を傷つけるかはわかりません。言葉は生き物ですし、またある表現に対し受け取る人によって解釈も異なるので、本当に「どうなるかはわからない」としか表現しようがないのですが。
※ただし、発信者側が非常に論理的かつ極力傷つけないように言葉を選んでおり、第三者が見ても攻撃する意図は感じられないにも関わらず「受け取る側が傷ついているのだからそれは攻撃だ」となっている対立もあるように思います。世の中でそういうケースもあるのは事実ですが、話が散逸するのでここでは触れません。


とりあえず、今日のところは「誹謗中傷がいけないのは当然だが、根拠に基づく批判も状況次第では誰かを傷つけるリスクはある」というところまでしか考えがまとまりませんでした。
今後、SNSでもいろいろな動きや意見を見聞きすると思いますので、自分の考えをアップデートしていきたいと思います。

(最後に)
まずは今日(2020年5月30日)現在の自分の考え方として今回このような文章を書きましたが、その後何らかの原因により考えかが変わった時に、その変化の過程も含めて書けるところがnoteのいい点だと思っています。
(言い換えれば、自分の考えの転換の過程をを時系列で他者に共有できるということです。)
もちろん、自分で一度発した考え方を改訂したり変更したりする場合は、note上で追記するなどして明示したいと思っています。

もしためになるような内容であれば、サポートいただけると励みになります。よろしくお願い致します。