見出し画像

「体育会系」という世界

自分の仕事に対する価値観や取り組み方を文章にする時、私が運動部出身であることをもっと明確に打ち出した方が読者の方に理解していただきやすいように思えてきました。
そこで、今回は私が運動部での生活で学んだことがその後の価値観をどう形成したか、というようなことを書いてみたいと思います。
※なお、この記事のサムネイルはフリー素材であり、私が学生時代にやっていたスポーツと関係あるかも知れないし、ないかも知れません。

本題です。
私は大学までスポーツをしており、特に高校・大学では自ら「強豪」と言っても差し支えない強さの部に所属していました。

「勝つ」という目的

運動部の目的は明確です。大会で優勝すること。そのために目の前の試合を勝つこと。もちろん「スポーツを通じた人間形成」みたいな大きな目的もありますが、これは学校側や指導者側の話であって、少なくとも現役部員である間は「人間形成」みたいなことは全く考えていなくて、やはり「勝つ」ということがすべてに優先されます。
※補足すると、後で振り返ってみれば、そのスポーツや部活動から学べたこともたくさんあるのですが、少なくとも現役部員のうちは「目の前のことしか見えていない」ということです。最近は、オリンピック代表選手などかなり高いレベルに於いても「勝利至上主義」に対して疑問が発せられています。ただ、それはあくまで「目標設定の仕方」であったり「指導者の立ち位置」の問題であり、やはり競技をする以上、勝ちたい・負けたくないのが選手本人としての心理であると思います。

そして、各部員は「勝つために自分が何をすればいいか」ということを自発的に考え、行動します。高校生ぐらいであればまだ部員各自がそこまでの意識を持っておらず、指導者が優秀だったり、もしくは「厳しい練習をやらされること」で強さをキープしているケースも少なくありません。また、高校生に比べればある程度の自立が期待される大学生であっても、チームマネジメントに失敗すると各部員の意識や行動が噛み合わなくなりチームが勝てなくなってきます。
逆の言い方をすると、「強豪」「伝統校」と呼ばれるチームは、代々伝わる価値観や行動規範があるため、各部員が同じ方向を向きやすくなります。
ともあれ、各部員はそれぞれが個人でレベルアップした力を集結して、「勝つ」という目的に邁進します。

「自主練習」の重要性

また、これは競技自体の特性やその部の方針等によりバラツキはあると思いますが、一般的に言って強い部であっても練習時間は意外に長くありません。運動部に所属したことがない方は、運動部と言えば早朝から深夜まで練習をしているようなイメージを持たれるかも知れませんが、「全体練習」という点で言えばそんなことはない場合が多いです。
なお、他にも「運動部=タテ社会」というイメージもあるかと思います。最近は世の中の流れもありそれほどでもない話は聞くものの、私が現役の頃はまだその雰囲気は十分にありました。上級生の命令には逆らえず、下級生の時は練習の準備や先輩のパシリ等の「雑用」があり、それに取られる時間も多かったのは事実です。
ただし、強い部には「全体練習」「雑用」以外の要素があります。
それが「個人練習(自主練習)」です。
上で「強い部であっても練習時間は意外に長くない」と書きましたが、その代わり空いている時間に(下級生のうちは雑用などを早く終わらせて)個人で自主的に練習をするのです。
特に大学生になると、この「個人練習」は義務ではないので、やらずに早く帰って遊びに行ったりすることも可能です。
ただ、毎日それを積み重ねていくと後でどうなるかわかりますよね?
そう、言うまでもなく自分の実力が落ち、試合の出場機会を失います。
実際、大学の部だと、高校で華々しい実績があってスポーツ推薦で入ってきた部員がその後の練習を怠けて試合に出られなくなることもあるし、逆に高校での実績がなかった部員がコツコツと練習して上級生になって主力選手としてチームを支えた、というような話はよく聞く話です。

「負けたくない気持ち」の呪縛

このような運動部での生活を経験してきた私は、社会人になってもうスポーツで戦うことがなくなった今でも、正直に言えば「空いている時間」が怖いです。
もっと言えば、「自分が成長できないこと」が怖いし、その結果「結果が出せないこと」も怖いです。
そのため、例えば土日であっても仕事のために本を読んでおいた方がいいのではないか、何かを視察しておいた方がいいのではないか、英語を勉強しておいた方がいいのではないか、といったような意識が常に頭のどこかにあります。

もちろん、平日頑張って仕事をして土日は仕事のことは一切忘れる、という考え方も否定はしません。むしろこう考える方が多数派で、私のようにオン/オフの切り替えができず常にオンな人間は、「ワークライフバランス」を重視する今の風潮からすれば、古い人間であり不器用な人間なのかも知れません。
以前、
敢えて自ら「社畜」と名乗るわけ
というタイトルで記事を書き、最後に「仕事に対する取り組み方」に触れましたが、その背景は今回書いたような私の経験から来ています。

もしかしたら、体育会系出身でない方が体育会系出身者の考え方や行動を見た場合に理解し切れない部分があるかも知れません。その時は、体育会系出身者はこのような生活をしてきている、ということを想像いただくと、もしかしたら理解の手助けになるかも知れません。
私個人の体験から言えば、上司が体育会系で部下が非体育会系の場合に起こる考え方のミスマッチの原因はこのギャップにあることが多いと感じているので、参考になればと思って書いてみました。

もしためになるような内容であれば、サポートいただけると励みになります。よろしくお願い致します。