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3児のワーママが市議会議員に転進したのはなぜ?小野照子インタビュー

新潟市に、子育てママを応援している女性の市議会議員がいます。黄色の服がトレードマークの小野照子さんです。

新潟に嫁ぎ、自身も3人の子育てを新潟市で行ってきたワーママの照子さんはなぜ、市議会議員に立候補したのか。

今回は、照子さんが市議になろうと思った理由と、照子さんが行ってきたことの一部をお聞きしました。

大阪から新潟へ嫁入り!4世代同居での三人育児新潟ライフ

―関西から新潟に嫁いだのを転機に、子育てを経て市議会議員として活躍されています。新潟はどんな印象でしたか?

出汁文化の大阪から新潟に嫁いだ当初は「なんにでも醤油とお砂糖をどさどさ入れる」と驚きました。お雑煮に具をたくさん入れるのもカルチャーショックでしたね。

雪も苦にならず、むしろ家事で早くに起きた朝のシーンとした、全く音のしない真っ白な世界が大好きです。新潟は、雪が降るからこそ、冬菜(とうな)や大根などの野菜がみずみずしく、甘くなって美味しいのも嬉しい発見でした。

―結婚してからは4世代同居もされ、新潟の生活に馴染んでいったんですね。

実は、新潟に結婚のご挨拶に来た最初の年越しに、未来の旦那の頭に、○○をぶちまけるという大失敗をしてしまったんです。

この大失敗には親戚の皆さんも涙が出るほど大笑いで、意外にも主人のご両親が結婚を認めて下さる決め手にもなりました。結婚後は同居と子育てもスタート。みなさんかわいがってくださいました。

ただ、育児に慣れない一人目のときや、二人目が小さい頃は悩みもあって、本気で「出てきたい」と思うこともありましたね。でも、振り返ってみれば、同居だからこそ私も外でお仕事ができました。

ワーママから議会議員に!人生の転換期と心を決めたきっかけ

―子育てをしながら(株)七田チャイルドアカデミー新潟で2年も室長をしていた照子さん。仕事を辞めてボランティアを始めたのはなぜですか?

働いていたころは休日出社もする様な仕事人間でした。その分、自分の子どもたちの担任の先生もよくわかってなかったし、小学校や中学校のPTA活動にも参加できていませんでした。

でも、夫が八海山の下山途中で滑落して、介護の為に仕事を辞めて、しばらく看病に専念することになったんです。仕事がなくなって、家族の絆を立ち返って考えるようになり、子どもたちにも目が向くようになりました。

そこから、PTA関係やボランティアに参加するようになったんです。おばあちゃんがしていた民生委員も引き継ぐことにしました。

―仕事中心から、家族中心の人生になり、地域との関わりも増えていったんですね。

その中で特に大きい経験になったのが、6年関わった家庭教育・子育て電話相談「すこやかコール」です。

研修会で講師の方から学ぶことや、自分では解決できない事案や悩みをみんなで共有する時間がありました。ここで問題解決のためのステップを学べたことは自分の成長にも繋がっています。相手を理解したり寄り添うために、自分も動いてみるようになったのはここでの経験のおかげです。

―照子さんの大切にされている「心からの傾聴」はここからきているんですね。市議会議員になろうと思ったきっかけもあったんですか?

ひとつは、夫からの言葉でした。

民生委員のお手伝いをしている中で、必要な行政手続きの複雑さに、不親切さを感じたんです。眉間にしわ寄せて帰宅する私の表情を見て夫から

「照子、市議選に出ろ。市議になってお前が改善すればいい」

と言われました。

―そこから市議会議員を目指したんですか?

それもきっかけのひとつになりました。でも、一番私の心を動かしたのは、ある新聞の記事です。

妊婦さんの死亡原因の9割が自死だという国立生育医療研究センターの調査データに、愕然としました。生まれたのに、子どもにとってお母さんがいない世界なのは、絶対悲しすぎる、と。

私は同居で3人子育てしてきました。でも、核家族化もすすんでいる今、新潟にも頼れる人がいないママもいるんじゃないかと想像したら、それはもう「なんとかしたい」って思ったんです。

市議会議員スタートと息子からの言葉!子育てママに寄り添うために

―「子育てママを助けたい」その気持ちから市議を目指し、2019年4月に当選して市議会議員になられたんですね。

はい。ひとつひとつ教わりながら、素人が0からスタートしました。

子どもたちも帰省時は一日街宣車に乗り、主人も一緒に辻立ちしてくれました。そうして無事、当選。その時、息子に言われたんです。

「おかあに投票して下さった3,300人の方は、今のおかあに投票してくれたんだと思う。今のおかあが決して変わることなく、謙虚に、市議会議員としての活動を行って欲しい。絶対に傲慢にならないで」

私の胸には、いつもその言葉が胸にあります。

―3人のお子さんと向き合ってきた照子さんだからわかる、できることがありそうです。

母親業は、なんでもやってて当たり前みたいな雰囲気もありますよね。一生懸命に頑張りすぎているママさんも多く見てきました。

幼児教室で働いていた時にママに「100%完璧にしなくていいのよ」なんて声をおかけすると、少し肩の力が抜けて、明らかに親子関係に良い変化があったんです。そこから「子育てって、親だけじゃできないな」と強く思うようになりました。

子どもたちをすくすく育てるには、親子をサポートできる地域の温かさも必要だし、悩みが出てきたら親自身が接し方を変えるための知識も必要です。

そこで、家庭以外でも接点をつくりたいと、子育てママに向けた色々なイベントも行ってきました。「行ってみようかな」って思えるママはもちろん大歓迎。同時に、それが難しく、見えないところで苦しんでるママもいると思うんです。

だから、SNSや地域のイベントや行事でも、参加しやすいきっかけや形をもっと増やしていきたい。そこで家庭と地域の繋がりや友達ができるのが理想ですね。

子どもたちの居場所づくりや親をサポートする社会を目指して

―照子さんは議員になって、親子や子どもたちのためにどんなことをされてきたんですか?

コロナの感染拡大地域で暮らす大学・専門学校1年生に「新潟の美味しいお米と、8区の特産物の詰め合わせにふるさとの愛もたっぷり詰め込んで送り届けよう。」と「にいがたフードエール便プロジェクト」を立ち上げから行いました。

また、私の子どもたちもお世話になった旧鳥屋野小学校跡地が10年塩漬けだった問題にも、オブザーバーとして参加しています。跡地の活用について保護者にアンケートを取りました。小学校の協力で一斉配信メールを使い、集まった300件近くの回答から、ひまわりクラブの移設新設が決まりました。子どもたちの放課後の居場所として、来年の令和5年4月から利用されます。

―様々な取り組みをされているんですね。照子さんが市議会議員として目指す社会を教えてください。

2022年4月、新潟市にも子ども条例ができました。私は子育ての中で、親がいかに子どもが言うことに対してきちんと耳を傾けられるかが大事だと思います。

でも、親も大変ですよね。私は、子育てで大事なことのひとつに「親がひとりの時間を持つこと」があると思っています。価値ある自分時間を持つことで、自己肯定感や幸福度も高まり、心に余裕が生まれ、周りに優しくなれます。

私も、最初の子にはストレスから感情のまま声を荒げて叱ったこともありました。この罪悪感と後悔は一生消すことは出来ませんが、親として成長していく過程でプラスの関りを上書きしていければ良いと思っております。

親が難しい場面では、学校の先生や地域の大人が子どもたちの話を聞いてあげるのも大事ですよね。小さい頃から「思ったこと言っていいんだ」とか「話を聞いてもらえた」という経験を積み重ねながら小学校中学校と、成長していってほしいです。

共働きでも、若い方々が子どもを産み育てたいと思えるような環境がある、2人目3人目も産んでみたいと思えるような支援がある、そんな子育てにやさしいまち新潟市を目指して行動していきたいと思います。


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