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しなやかで笑顔あふれるにいがた女性を増やしたい! 小野照子ものがたり

小野照子ってどんな人?

みなさんこんにちは。しなやかで笑顔あふれるにいがた女性を増やしたい!新潟市議会議員の小野照子です!

今日は「小野照子ってどんな人なの⁈」と思っている方に、ぜひ知っていただきたく、私の自己紹介をさせていただきます。最後まで読んでいただけたら嬉しいです!

1965年(昭和40年)10月19日、大阪府寝屋川市萱島商店街の中で日用品店を営む両親のもとに生まれました。

写真①幼児時

3人姉妹の真ん中で、気さくでおせっかいな商店街の方々に見守られ、やりたいことにチャレンジ出来た自由奔放な子ども時代を過ごしました。

高校受験に失敗、女子校である信愛女学院高等学校に入学。遊んでばかりで卒業後は働こうと考えていましたが、ひとりの先生との出会いで、3年生になる直前心機一転、大学進学を目指し猛勉強。

結果、関関同立すべて合格、尊敬する先生のアドバイスで同志社大学文学部英文学科に入学しました。

大学卒業後は(株)サントリー100%子会社「サントリー・パブリシティ・サービス(株)」に就職。ウイスキー工場の山﨑蒸溜所、ワイン工場の山梨ワイナリー(現登美の丘ワイナリー)、新宿本社と、1年ごとの転勤でした。(銅像に腰かけている右から3番目が私↡)

写真②山﨑蒸溜所

写真②

会社の経費で家賃を補助していただき、知らない土地でそのまちを知ることが出来る、こんな楽しいことは無い!と転勤のたびに感謝の気持ちいっぱいに働かせていただきました。

4年間の勤務を経て、当時は普通であった「寿退職」をし、26年間の生まれ育った大阪を離れて新潟に嫁いで参りました。

数回の転勤が新潟とのご縁をいただくことになり(この経緯はまたの機会にご紹介)1992年(平成4年)10代続く小野家に嫁ぎ、義祖母、義父母、夫、子ども3人の4世代同居の中、家業の「信濃屋食堂」をお手伝いすることから嫁務めが始まりました。

写真③家族写真

2003年(平成15年)91歳の義祖母を看取らせていただいた後、(株)七田チャイルドアカデミー新潟で幼児教育の仕事に携わり、4年間の講師2年間の室長を務めました。このお仕事は私の子育ての指針となり、現在の議員活動にも生かされています。(後列中央が私↡)

七田チャイルドアカデミー新潟

主人との出会いが私の人生を変えた!

​1991年(平成3年)12月31日大晦日。豪雪地帯(と、当時は思っていました。)の雪国新潟に、小野家の皆さまから結婚のお認めをいただくため、初めての年越し宿泊。宴はたけなわ、皆さんお酒で上気分。そろそろ年越しそばを作らなくてはと、お母さまのおそばの準備のお手伝い。茹で上がったそばを手が切れそうな冷たい水でよくさわして(新潟弁で浸して冷ますという意味)、大きなざるに盛り付けて、主人と私で居間まで運ぶこととなりました。当時経営していた食堂の台所から母屋の居間まではかなり急な階段を下りなければなりません。

ここまでお読みになったあなた様、もうお分かりですよね。

そうなんです。私の手元からざるがするっと滑り落ち、先に階段を下りる主人の頭の上に大盛りそばが舞いかぶさったのです。

これには親戚皆さん、涙が出るほど大笑い。

しかしこの大失敗が、主人のご両親が結婚を認めて下さる決め手となったのです。(↡↡↡大酔っ払い状態💦左端は姑さん、右端は姑さんの姑さん)

写真④年越し写真

人生やはり失敗が大事ですよ!

ところが2009年(平成21年)9月23日。夫が八海山の下山途中で滑落。

頚椎骨折から脊髄損傷を起こし、首から下が麻痺の障がい者となり、夫の介護の為仕事を辞めしばらく看病に専念することとなりました。

この後、夫のおかげさまで私の人生に新しい風が吹き込むこととなるのですが、今回はここまで。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました!興味を持っていただけたらお気軽にフォローしていただき、次回もお読みいただけると嬉しいです!

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