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vlogにみる人生観

ティーポットです。今日は1日爽やかな日でしたね。先日蒔いたルッコラがあっという間に発芽して、今からサラダで食べるのが楽しみです。

vlogあれこれ

去年は大学生や若い社会人の勉強vlogを見て、こちらも触発されていたのですが、最近、主婦と思しき方達が作っているお料理vlogを拝見しています。(この記事の最後にリンクを貼っておきます。)

vlogの家事はすごい・・・

どのvlogも優劣つけ難いのですが、押し並べて言えることは、みなさん、一定の時間を家事や食の研究に使っていらっしゃるようで、一定レベルよりも家事の腕前が上だなと思います。

しかし、動画の編集の時間や、料理に費やす時間を考えると、どうも家事に費やす時間は半端ないだろうということが見て取れ、人生の真ん中がハウスキーピングなんだなぁと思います。

もちろんそれで、一定以上の生活の質が担保されています。

一方、私は男女雇用機会均等法の数年後に社会人になり

身も心も古傷があります。もちろん、今も治療が必要なほどです。仕事に囚われて生きてきたので、一定のビジネススキルはありますが、家事スキルはあんまり(?ほとんど?笑)ありません。

レシピを見てレシピ通りに料理は作れるけれども、アレンジしたり、創作料理をしたりということはありません。そういうことは、老後の話だろうと思っていましたが、老後もどうも働かなきゃいけない。

家庭的でもありたいのですが、在宅勤務になる前は、インテリアにこったり、ダイニングテーブルの上に花を飾ったりなんてことまで手が回りませんでした。

せいぜい、休日にハーブを植えたり、オイルと苛性ソーダで石鹸を作ったり、たまに流行りの料理をレシピを見て作ったりする程度でした。

仕事を始める前は家庭におさまりたかった

実は私は社会に出る時はちょっとビビってました。もちろん、社会に出てからも大変でした。パワハラの定義がなかったので怒鳴られていましたし、今の若い子は耐えられないようなことがいっぱいありました。

夜中の3時まで働いて翌日9時には会社にいることもありました。

だから、できるなら家庭の中で静かに暮らしたい、という憧れが現実逃避的にありました。

でもそこで家事を人生の真ん中にできるのか・・・

と自分に問うと、やはりできないと思います。お料理にしても、一定の盛り付けで美味しく栄養バランスよく食べらればいいのです。

盛り付けのために丁寧に丁寧に時間をかけたり、あまり気づかないような工夫を考えたり、手間ひまかけて、食べれば消えてしまう料理に時間を費やすこと自体、どうも私の価値観には合わない。

もちろん、家族に喜んでもらうようにお料理をするお母さんは偉いと思います。母は偉大です。

でも、私は一定の快適さ、おいしさ、過ごしやすさ、があればそれで良くて、そこを人生の真ん中にはしたくはない。そこはありきたりでいいのです。

私はもっといろんなことを身につけて、いろんなことを知りたいのです

例えば、もっと本を読みたい。日本語に翻訳されていない洋書を読んだり、先日書いたように哲学的なことを考えたり、とそういったことに時間を割きたいのです。

それに、仕事に忙殺されていたこの20年ですっかり国際社会の趨勢が変わり、ビジネスパーソンとしてだけではなく、一社会人として、良識ある大人として、もっと見聞を広めることも必要だと考えています。

vlogから垣間見る平和?

vlogでは、これまでもこれからもずっと続くかのような安寧の中で家庭での楽しみが記録されています。でも、その前提条件は、私の経験からいくと、すごく危ういと思います。

そんな安定した世界は実社会の中にはありません。情報社会からAI、ロボットの時代へと毎日が過渡期であり、それに対応すべく、人はフットワークよく対応しなければなない。

ここではあまり悲観的なことは書きませんが、人生というのはvlogの中のように静謐なものだけではありません。もっとダイナミックなものにならざるを得ない。

だから、私は勉強vlogの中でささっと作られる食事に共感するし、あんなに勉強している人たちにはパワー!をもらっています。逆に家事(料理)vlogの中に逃げ込んでしまうのは危ういのではないか、と思います。

価値観は人それぞれ

なので、「それでいはいかん!」とは言いませんが、もし、vlogや家庭の中だけに浸ってしまっている方がいらしたら、この記事で書いている危うさの意味を考えてみてもらえないでしょうか?

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