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数秘術の虫眼鏡 息を合わせる

「2」

「2」という数字について妄想する毎日です。

桜が咲く少し前に、パンチャカルマというアーユルヴェダ療法のデトックスで行われるオイルマッサージが私の仕事のひとつに加わりました。
このマッサージの名前を、アビヤンガといいます。
2人のセラピストが、体の左右または上下でシンクロしておこなうマッサージです。

頭から足の先まで決まった動きがありそれを覚えるのに苦労しますが、それ以上に、リードセラピストの動きの速さや圧に合わせることのほうが断然難しい。

なぜ2人で行うのか?
それで受け手の心身に何が起こるのか?
「2」の観察が始まったのは、どうやったらうまくできるようになるだろうかという気持ちからでした。

「2」、「対」。
それらのもつ作用。
2つのものがシンクロされる時、何が起こるのだろう。


息を合わせるという言葉の観察

奮闘中にふと思い浮かんだ「息を合わせる」という言葉。
その意味を調べてみると、

調子を合わせる
意志を伝えあう
気脈を通ずる

そのような説明がありました。
阿吽像の”阿吽の呼吸”という言葉にもあるように、吐いて吸うという呼吸との関連性もかかれてありました。

自分ではないものと意志を伝えあい気脈を通じさせて調子をそろえる。

なんて大変そうだ。

数秘術では「2」という数字は、自分と他とのバウンダリーの悩ましさ、人間関係の難しさを示唆しますが、つまりそれは、「息を合わせること」の難しさということなのだろうと思います。

夫婦、親子、友人などとの一対一の関係をうまく成立させ、しかもそれを継続させることは、互いに、もしくは一方の気力や忍耐なしでは成り立ちそうにもない。

アビヤンガは私にとっては仕事なので、対価を得る以上は気力や忍耐や努力はあってあたりまえ。そこはがんばろう。

私が興味をもっているのは、シンクロの動きが体にもたらす効果。
2がもたらす効果について。

どんなものかモデルとなって体験をさせてもらった時のこと。
私のゴリゴリに凝った体は、果たしてなでるような圧でマッサージされてどれだけの効果があるのだろうかと半信半疑だったのですが、終わった後の体や心の状態は、「静」。
「聖」と書いてもいいくらいの、自分の内に静かな力が宿るようなとてもすばらしいものでした。

心と体が同じ場所に収まったという感覚。
心と体の息が合わさっていて、安らかな穏やかな状態。

静かな空間のセラピストのゆらゆらと踊るような動きと、
最後に訪れる静かな感覚。

私はすっかりアビヤンガに魅せられました。


自分と息を合わせる

自分と息を合わせる、というとおかしな感じがしますけど、私達は普段、心や体、思考や言動がちぐはぐなことの方が多い気がします。
自分の本音よりも世の流行や慣習や視線に自分を寄せてしてしまうのは、片時も手から離れない携帯電話やキーボードとぴったり息があっている証。

人の心や体に自分を合わせる前に、自分の中にあるもの同志に調子を合わせていくことのほうが、きっとずっと大事です。

何気なく合わせた左右の手のひらをこすり合わせてみたり閉じたり開いたりしてみたり。
右膝を右手で、左膝を左手で同時にくるくるとさすってみる。
両耳を同時にくるくると揉んでみる。

そんなふうに自分の体の部位をゆっくり感じていると、自分の外をさまよっている気持ちが静かに自分の内に戻ってきて体と重なるような感じがします。

体の左右で同じ動きをするアビヤンガの謎の答えのひとつは、
”自分の体はここに存在しているぞ、というリマインダー”のような役割なのかもしれない、というのが今のところの私なりの「解」です。


おいしいソース、おいしい2

たぶん「2」の難しさを解くキーのひとつは、水と油です。

水とオイルと諸々をシェイクすると、混ざっておいしいドレッシングにはなる。それを静かに置いておくとそれぞれの本来の状態に静かに戻っていく。分離していく。
その様子は、他者や身の回りで起こる出来事との関わり方のヒントになるように思います。

溶け合って、混ざり合って、重なり合って、
おいしさや美しさを生み出すけれど、
各々がきちんと分離できることが大事なんじゃないかなと思います。

自分の外だけに限らず、自分のうちでもきっと同じです。

自分の中でどうしても完全にひとつになり切れない気持ち。
割れ切ってしまっている本音の自分とタテマエの自分。
その狭間が苦しい。

完全に一致させようとするから苦しいのであって、
そういう2人の自分が、ある時はいい感じに混ざり合う。
ある時はどちらかの分量が多すぎてなんともまずい結果になる。

溶け合う、混ざり合うけれど、静かに分離していく。
水に浮くオイルのあぶく。
自分の中にはいろいろなものがゆらゆらしている。

そして、自分の周りの社会にも、この世界の中にも、ゆらゆらといろいろなものが混ざり合い、分離しながら時代を進んでいる。
そんなものかもしれないです。

以前、「2」について数秘術の師がアドバイスをくださった言葉をその時の私はうまく咀嚼できなかったのですが、1年以上もかけてやっと自分なりの言葉に少しだけすることができる気がします。

「統合と統一は、別物だと私は考えていますよ。」

私の、水とオイルの考えは、きっと”統合”です。
一緒になるけれど、それぞれに分離できる。

”統一”は、ふたつ以上のものを一緒にして押しなべて同じようなものに変えてしまうもの。
そんな雰囲気なのかなと感じます。

ワンネス、という言葉を時々きくけれど、それは”統合”という意味合いであってほしいなと私は思います。

右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、自分と同じような考えを持ち同じような言葉を話し同じ嗜好の人達ばかりの中にいたとしたら、心は平安なのかな。

「あれ、なんか私、みんなと違うかも。」
そんな小さなベルの音みたいな感覚が自分の内で鳴った時、あたらしい発見や発想がぐっと招集されていくんじゃないかなと想像します。


溶け合って解けていく。

そこにある他と分離している自分。

オイルマッサージは、水分である人体同士がオイルを介して触れ合っているようなもの。そこでエネルギーが混ざり合い、なにかいい作用がうまれるのかもしれないです。
科学もない時代にマッサージは、人と人、人と自然とでエネルギーをうんだり濾過し合う、実は科学技術のひとつだったのかもしれない!(笑)

性差の違いがなければ、人間を生み出すことができないことを考えてみても、全くの別物が溶け合って何らかの”解”がうまれる。

自分の中の苦しいギャップは、なにかの解をうむ可能性が高い。
だから強靭なひとつの心をもった自分になろうとしなくてもよくって、
自分の中の、心や手足や臓器や、吸って吐いての調子を合わせていく。
自分と息を合わせることを大事にしていくことが大事だと思います。

なにか事件が起こって、身も心も揺さぶられるような動揺の時、

自分の中のいろんなものがひっくり返されてシェイクされている!
きっとおいしい自分になっていくのだな!

そのくらいにおもしろがってみたりする勇気。

多様性だとか社会の理解が進むことを期待していても時間がかかってしまう。
今日と明日をとにかくどうにか切りぬけなきゃいけないんだとしたら、自分と息を合わせて、今日と明日をとにかくなんとかすすんでいく。
そこに、きっと解はある。
はずっ!


呼吸という風

私が中医学とアーユルヴェダの考えで似ているなと思うのは、自分の内や外に自然をみて、そこに解決策を見出すというところです。

息、呼吸は、自分の中を渡る風。
呼吸だけが唯一、自分で自律神経をコントロール手段である、と聞いたことがあります。

煮詰まった時、外の風にあたりに行ったり、窓をあけて空気を入れ替えたくなったり、大きく深く呼吸をしていたり。
私達は無意識に、風の力をかりて心身の一新を図ろうとします。

自分と息を合わせ、自分の体の中をわたる気持ちのいい風を感じる。
いい風が吹いた!と思ったら、Take off!


「2」からどこまでも膨らんだ、たんなる妄想雑記。


とても風のある日、
別の街で暮らす娘と待ち合わせた時の夕景です。
犬と海と見守る飼い主との楽しそうなエネルギーがずるいほどに美しくて一枚。


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