「斎藤さん」とありのままの自分の受容
こんにちは。お元気にお過ごしでしょうか。
ときに皆さんは発達障害という言葉に敏感でしょうか?
「あなたのお子さんはADHDっぽいよね。」
「○○さんとこのお子さん、ちょっと自閉症ぽくない~?」
この質問は愚問かもしれません。
発達障害、ADHDや自閉症を抱えた親御さんに取って
「敏感になるのはあたり前だろう!」
と思うかもしれません。
でも、本当に『あたり前』なのでしょうか?
「発達障害、ADHAや自閉症という言葉にどう敏感ですか?」
皆さんの中には『発達障害』と聞いて、なんとなく
“嫌な感じ“ だったり
“引け目を感じる“
“世間(周り)の人たちにどううちの子が見られてしまうのか、どうその親を見るのか“
というようなイメージをお持ちではないでしょうか?
確かに世間の目は厳しいです。
1人の安易な心ない一言で周りの目は一気に自分たちのことを見る目が変わってしまったり、さらに現代ではSNSなどの目に見えない攻撃にも耐えなければならないことが起こるかもしれまれん。
そんなとき、いつだったかTV番組の『斎藤さん』というドラマが放送されていたことを思い出すのです。
内容は詳しく覚えていないのですがたしか始まりが、人付き合いが苦手で自分を出すのが苦手なお母さんが、新しく引っ越してきた街でこれから子供を幼稚園に預けなければならなくなるのにあたり、どう周りの人たちと接してよいのかわからず、ご近所に自分で焼いたクッキーを名前を書かずに配り回ったという内容からだったと思います。
普通に考えれば今の現代では“気持ち悪い“となるでしょう。今どきは何が起こるか分からないので、安易に身元がわからないものには手を出さないものです。
でも、そのお母さんは一生懸命でどうにかその街に馴染もうとしていました。
今どきで言う『マウンティング』的な紆余曲折があった後に“斎藤さん“が一喝し正当なものの捉え方を言いその場を鎮める、という話だったと思います。(所々間違いがあったらごめんなさい)
“斎藤さん”がご近所さんの批判的で否定的な態度、攻撃的な言葉や態度について静止し、また自己表現の苦手なお母さんにもはっきりと名前を書かないでもらった手作りクッキーは食べられないから、名前を書くことやそういうやり方でない自己表現の表し方を促していたと私は記憶しております。
まさしく皆さんにもこういう“斎藤さん”ような気持ちを自分の中に育てて欲しいのです。
たしかに、発達障害、ADHDや自閉症の重篤差は異なると思います。
それでも発達障害として生まれてきたことや産んだお母さんには“なんの罪“もありません。
なりたくてなったのではないからです。
それでもそういうお子さんを産んだことに対して、またそういう障害を抱えたことで苦労させてしまった子供へどのように償いをしたらよいのか、どんなに後悔しても後悔しきれないと思います。
そこで、私は“斎藤さん”のように「そういう生き方をずっとしていきたいですか?」つまりこの先、後悔するばかりの生き方をしていきたいかどうかということを皆さんに問いたいのです。
厳しい問いをしたことに対して謝ります。発達障害を抱えたお子さんを持つお母さん(お父さん)は多かれ少なかれご自身を責め、ことあるごとにご自分を責めるということをされていると思います。
私は決してそうすることがいけないとか悪い行為と言っているのではありません。ときにはご自分を責めてしまう日もあると思います。
それでも良いです。
ただときには冷静に、正当なご自分を取り戻して
「発達障害があることが悪いのではない。相手の行為はお心ない言葉である。人としてするべき行為ではない。」
と、思えることです。
些細な言葉の端々に発達障害の子を持った事を責められているような感じを受けてしまう。
決して相手にもそういった責める気持ちがあったとも思わない。
けど……という気持ちが湧き起こってくる。
“湧き起こってくる気持ち“は仕方のないことです。
それはそのまま受け止めてください。
そのままの気持ちをそのまま存在していることを受け止めてください。
むしろ、その気持ちが存在していることを無視していることの方が不自然なのです。
ちょっと前に流行った歌詞の中に『ありの~ままの~姿見せるのよ、ありの~ままの~自分になるの、(省略)ありの~ままで~、空へ風に乗って。ありの~ままで~
飛び出してみるの(省略)これでいいの自分を好きになって、これでいいの自分信じて光浴びながら歩き出そう(省略)』
という言葉があったかと思います。
ふつふつと湧き起こる気持ちというのは止められないけど、それもそれで自分なのだからそんな自分を受け止めてみよう、ということです。
これは歌や言葉にするだけなら一見“簡単“そうに聞こえるのですが、やってみると意外と難しい。本当に難しい。
ですがこれを少しずつ皆さんに行っていただければなぁ~と私は思うのです。
あれ?さっき話していた“斎藤さん“の正当な思考、冷静な考えとは違くありませんか?って言われそうですね。(笑)
そうなんです。実は自分自身を冷静に、正当にみるにはまず“そのままの“ “ありのままの“自分を知ることから始まるのです。
人にはこれまでの育った環境や接してきた人間関係で自分という概念を形成していきます。
その中で何かしらの歪みというものが生まれてきます。
人は何か物事を受け止めるときにその歪みのフィルターを通し濾過して今の自分の感じ方や考え方を生じさせます。
ある人の言葉が人によってはアドバイスに聞こえるし、別の人にとっては批判や否定的に聞こえて怒りを感じつつも落ち込んだり、傷ついたりしてしまうことがある。これを『認知の歪み』と言います。
この『認知の歪み』によって皆さんはあることについては冷静でなくなったり正当な見方や考え方ができなくなります。
いつも冷静ではないということではありません。“あること”や“ある事柄“ということがポイントです。
その“あること”や“ある事柄“というのはここで言う発達障害、ADHDや自閉症という言葉やそれに関連する事柄・言葉には敏感に反応するのです。
それは皆さんが心の中に持っている『発達障害』『ADHD』『自閉症』という言葉を聞いて自分の中に持っているそれらのイメージがここで言う『認知の歪み』というフィルターを通すことで冒頭で申し上げた“嫌な感じ“”引け目を感じる““世間の目が気になる“というマイナス面ばかりに目が行きがちになっているということです。
マイナスがあればプラスもあります。
マイナスの考えを持った自分を“そのまま、ありのまま“受け止め、プラスの面を考えてみてください。
ご拝読ありがとうございました。
©2020Kasai Ichiyo
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