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せかいのへそ

「世界のへそがあるならば、この世界はえびぞりってことなのかな?」

彼はときどき発作のようにこんなことを言った。この日はまだ言いたいことはわかるけれど、「定期購読で組みあがった蟻の蟻酸で気圧を下げたら、ダウンバーストは防げたのかな」だなんてわけのわからないことを言いはじめた日には、その言葉でわたしに何をつたえたいのだろうと頭を悩ませなければいけなかった。

「それ誰の言葉?」
「扇風機のまわる羽を見ていたら言葉が見えた」

わたしは演繹法でただしい返答を探そうとしているのではないかと思うくらいに、丁寧なやりとりを強いられる。嫌がっていながらも、回数をこなしているうちに楽しくなってしまった自分が情けない。情けないものの、まだ誰も考えたこともないようなことをふたりだけが知っている。そんなことを嬉しく感じてしまうくらいには、わたしは彼によわかった。

そのままに受け取ってしまっていいのだろう。今回のお題は知識の端々が勝手に結びついて出てきた言葉に違いない。それに、とっかかりはもう掴んでいた。

「世界が平面だって言われていたときに呼ばれていたかもしれないよ。そうしたら、ただ仰向けに寝そべっているだけかも」

彼はうれしそうな顔で、わたしの答えをくりかえしていた。相当に気に入ってもらったらしい。平面に思われたいたのがいつの時代で、世界のへそがどこにあるのかも考慮していないのだろう。人の歩んできた歴史は今の彼にとっては過去も未来も混ざり合ってしまっているに違いない。

「なるほどね。でも世界も大変だ。自分の上で育てたこども達が、親である自分の姿を知らないだなんて」
「親もそもそも自分の上にどれだけのこどもがいるかは把握できていないでしょ」
「どうして?」
「じゃあ、自分の腸にどんな微生物がどれだけくらしているか把握してる?」

この日はここまでだった。彼の興味が「世界のへそ」から「腸の微生物」に移ったことがたしかに感じ取れたからだった。このやりとりがただの遊びである以上、わざわざ勝敗をつける必要もないのだ。

ものを知らない少年のように、彼はときどき発作を起こす。たぶん、これ以上にねじれてしまっている質問を投げかけてくるような人はあまりいないと思う。そう思うと、彼の発作はいつも刺激的だった。


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