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均一な日々

規則正しい生活習慣はぼくを安心させてくれる。目を擦る、カーテンを開ける、布団をたたむ。どちらかといえば生活を維持する人間としては、人間とロボットの区別がつかないほどに均一な日々を過ごしていると思う。

「本日のメニューはAセットでよろしいでしょうか?」

いや、実際ほとんどロボットかもしれない。
朝食に何が出されるにせよ、ただ流行りを食べ続けているし、与えられる業務の幅はあれど受け取ったことをただ処理可能な範囲で処理をするだけだから。むしろ、ぼくよりもロボットの方が創造的な日々を送っているかもしれない。毎日の献立から、その日身にまとう香りの選定まで。何から何までぼくたちの生活様式に付加価値を与えてくれた。

「できればメニューの指定をお願いいたします。急ぎではありませんが、通勤時の歩幅を少し大きくしなければいけなくなってしまいますので」
「そしたらAセットでよろしく頼むよ」
「かしこまりました」

食卓につき、料理が出されるまでの時間をぼうっとして過ごす。なにか、新しいことをはじめられれば。自分が創造的ではない人間であると自覚すると、ふとそんなことを考えてしまった。
背中をせっつかれるような焦燥感に駆られたものの、ここで行動してしまえばぼくが崩れてしまうだろう。そんな小心がぼくに生活をありまののに維持する活力をわき起こさせる。この心の落ち着かせ方が焦燥感のもとになっていることはわかっているのだけど、どうしようもない。

なんとなくテレビをつけてまだ働いていない頭で眺めていると、「人は自由が奪われている」と訴えている人たちが映し出される。彼らはずいぶんと創造的なような気がした。
なんでもロボットや人工知能に任せてしまえばそれなりの生活を保証されているのに、それが窮屈と感じるような人たちだ。けど、ぼくにはそれがとても創造的なように見えてしまった。

「マナー指導は必要でしょうか?」
「いや、今日は必要ないや」

小さな抵抗として、今日は断っておいた。なんせ縛らせ過ぎてしまえばこのまま何も創造できないような気がしたから。



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