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フォン・ド・ヴォー、絶佳なる哉

 冬になると、シチューが無性に食べたくなる。様々な種類のシチューが存在するが、今日はビーフシチューにした。かつて、高校生の時に図書館にあった世界の料理について書かれた本格的なレシピを元に、同級生の家でワイン等を使い非常に格調の高いビーフシチューを作り皆で舌鼓を打った思い出があり、今でも口にすると何となく幸せな気持ちになるのである。但し昔と今では異なり、何とはなしに料理についても時間短縮、効率化の観点から市販のルーを使用する。作り方や考え方は人それぞれであるので、きっと手間暇を惜しまずに牛骨や野菜を長時間かけて煮込み、きちんとしたスープの素となる、フォン・ド・ヴォーをこしらえている人は存在していると思うが、それはごく少数派であり、大多数の家庭では市販のルーを使用している事だろう。日本人は権威主義に傾き易い、それはあらゆる場面で発揮される。市販のルーについてもそれは踏襲され、メーカー側と消費者側との試行錯誤により多くの人の舌をそれなりに納得させて来た安心と実績が人々に受け入れられている。市販のルーはフォン・ド・ヴォーや各種エキスが凝縮されており、ビーフシチューという西洋料理をより身近なものにし、我々の中に浸透してきたのだ。大衆というものは、大勢の人に受け入れられているものに対して余り疑いを持つことなく安心する。

 以前、仕事でとある問題を検討する事になり、会議が開かれた。イベントを開催するに当たって、集客が難しい場所にどの様に人を多く呼び集めるかの方策を様々な角度から検討するものだった。会議のメンバーは約20名ほどで、斬新なアイデアを出そうという趣旨から若く有能な人が集められた。誰も出されたアイデアに対して否定しないというスタイルで行われるものであったので、突拍子もないアイデアや今まで聞いたことも無い様な意見が出るかと思われたが、いざ蓋を開けてみるとお互いの顔色を窺いながら無難な意見しか出て来ない。要は、安全パイを取っているのだ。奇想天外なアイデアというものはともすれば危険を伴う。失敗すると後戻りできない、発案者が非難されるのではないか、といった恐れが石橋を必要以上に叩く要因である。また、突飛な事を発言する人というのは何時の時代も孤独である。いかにリーダーシップがあろうとも、何らかの強力な追い風が無い限り普通の人々は安心して同じ船に乗ろうとはしないのだ。反対に、どこそこの組織の偉い誰か、といった威光を背負った人物が一声発すると、そのことが安心材料となり皆が従属する様になるのである。風味絶佳である保証付きのフォン・ド・ヴォーは人と人の関係においても素晴らしい結果を残すことから非常に重宝される。その一方で、その成果に味を占めて他の機会にも同じフォン・ド・ヴォーを使おうとする為、どれもが似通った味になってしまう欠点がある。その状態が広範囲に拡散し浸透した時、新鮮味は失われ、成功体験を尊重するがあまり、その次も失敗をしない様に他者が調理した安定した味を求める様になるのである。しかしながら、人々が本当に心から求めているのはその場その時にしか得ることの出来ない野菜や素材の内側から滲み出る滋味なのではないかと思うのである。例えるならば、自家製ソースや自家製スープといった響きには心浮き立つ未知なるものへの好奇心が掻き立てられるといった様な事だ。

 音楽について全く門外漢なので多く語ることは能わないが、驚天動地の効果を求めるならば本来はセルフプロデュースするのが好ましいのではないだろうか。食堂で一人のシェフが自家製の手料理を振舞うのと同じで、客側からすると大変魅力的である。プロデューサーというのは客観性を持った他者である。詩人が詩を吟じる場合、作品を多くの人の目に触れさせ、より効果的に感動を与える為には作品に魔法をかける必要がある。本の装丁や挿絵や文字のデザイン等、トータルで人々の内なる詩情を催させる様に趣向を凝らすのである。その為、セルフプロデュースする場合には自己と他者両面の目線を同時に持つ事となる。当事者の目線のみであると、フォン・ド・ヴォーの味は自分好みであるけれども、反面、人々の舌に馴染まず本末転倒になってしまう事もある。また、プロデューサーの味に依拠していると自分から出る滋味を忘れてしまいオリジナリティが発揮できない惧れもある。何事も匙加減次第なのだ。料理にせよ歌にせよ、受け手の心に届かなければやり甲斐も無ければ記憶にも残らない。いずれにせよ、何が正解かは大衆が判断するのである。

 故・伊丹十三監督の「タンポポ」という映画ではラーメンをテーマに様々な人々が一つの店にそれぞれの才能を注ぎ込み繁盛させていく様子が描かれている。単にそれだけの意味で無く、ものづくりとは、人材育成とは何か、人々が集う意味や情熱を傾ける意義を問いかけている。この世の中に存在する物事は全て誰かの、意志を持った人々が作り上げた作品である。今日私が煮込んだビーフシチューは市販のルーを投入したが、他の家々ではワインを入れる分量を変えたり香草を入れる等の創意工夫をしながら、温かいスープで胃袋を満たしているのだろう。


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