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もし人間が寝ている時に「夢を見ない」生き物だったらどうだろう

これを読んでいるあなたはきっと人間だろう。
そして人間であれば一度は眠ったことがあるだろう。
そして眠った時に夢を見たことがあるはずだ。

全人類が経験している不思議体験。それが「夢」である。

記憶整理のための脳の働きだという一説が有力とされているが、実際のところ確証を持てる事実は未だに解明されていないのだ。

子供の頃、キティちゃんの枕で寝ると必ず同じ悪夢を見た。謎の洋城でドラキュラ的なサムシングに追いかけられる夢だ。そもそもなんでキティちゃんの枕で寝ていたのかは不明だが、あの枕が怖かった。

怖い夢って回避しようがないじゃん!卑怯だろ!!

じゃあそもそも夢を見なくなればいいのでは!?

そう考えたが、無理な話である。
ヤツらは風のように突然吹き、気が付けば消える。

記憶の整理という得のある作業のためなら仕方がないと言えなくもないが、もし全然関係ない、脳のいたずらだとしたらあまりに理不尽ではないだろうか。

そもそも夢を見ることで我々の生活にどのような利益があるのだろうか。
話のタネになる?他人の夢の話ほどつまらないものはないというのは周知の事実であろう。
あんなに観ている本人は臨場感たっぷりで楽しめる映画なのに、他人に話した途端にクソ漫画になるコンテンツなのも「夢」の特徴といえる。

それに夢も人によっては、内容に干渉出来たり、見たい夢を見れたりする。
何かの特殊能力みたいだ。
私は「夢の続きを見たい!」と願えば二度寝して続きを見れるという特殊能力を持っている。果たしてどこまでが空想でどこからが夢なのかは定かではない。

さて紆余曲折というより蛇足が過ぎたかもしれんが、タイトルの話になる。
夢から逃れることが出来ないならば、もしもボックスにもしもしして「全人類、夢を見ない生き物になれ~!」と願ったならどうだろう。

私が真っ先に思ったのは、寝るという行為が「完全に作業化」してしまう予感だ。

夢を見るか見ないかという夢ガチャが無いということは、睡眠中がまるで「無」になるのだ。
科学の発展していない太古の人類はきっと「夢を見る」という睡眠中の意識が無かった場合どう考えるだろうか。きっと睡眠というのは「一日に一度死ぬ行為」だと思うかもしれない。「無」は「死」に近しいのだから。

それから、創作の世界が非常につまらなくなることを懸念した。
あらゆる物語において「夢」という存在は切っても切れない。
世の中の7割の物語には「夢の描写」があると体感している。
それがまるっと無くなったらと考えると、なんだか恐ろしい。
米津玄師の「Lemon」も歌い出しの「夢ならば」が出てこずにずっとクエクエ言ってるだけの曲になったに違いない。違いない。

あなたはどう思うだろうか。夢が無くなった世界に思いを馳せてみる夜を過ごしてみては。きっとよく眠れるだろう。

それでは良い夢を。

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