わたしの祖父錦光山宗兵衛の評伝
わたしの曾祖父六代錦光山宗兵衛は京都粟田焼窯元で将軍家御用御茶碗師を勤めていました。それが明治維新で東京に都が遷都しますと、天皇家をはじめ公家、官僚などが新都に移ってしまい京都の街は火が消えたようになり、錦光山家も存亡の危機に立たされます。
そんなある日、一人の外国人が店にやってきます。英語が話せないので身振り手振りで壺を見せますと、その外国人はいきなり壺を足蹴にしたのです。宗兵衛は外国人がどうしてそんなことをするのだろうと悩みながら、苦心惨憺の末に雅で繊細な採画法「京薩摩」を開発、それで絵付けした製品を神戸の外国商館に持っていきます。その製品はおりからの万国博覧会やジャポニスムの波に乗り、海外で「京薩摩」として人気を博し輸出が急増し、京都の経済も復興していきます。しかし次第に粗製乱造におちいり、京都の窯業界は廃絶の危機に見舞われます。
こうした危機のなかでわたしの祖父七代錦光山宗兵衛は1900年のパリ万博を視察、アールヌーヴォー様式が一世を風靡していることを知り、京焼の改革に取り組みます。京都陶磁器試験場の設立に奔走して盟友となった、場長の藤江英孝とともに窯業技術の近代化に取り組むとともに、洋画家の浅井忠などと意匠研究団体「遊陶園」を結成、意匠改革にも邁進します。
そうして錦光山宗兵衛の作品は現在では再現できない超絶技巧の作品として、海外ではヴィクトリア&アルバート博物館、オックスフォード大学のアシュモレアン博物館、ボストン美術館、国内では東京国立博物館、東京国立近代美術館工芸館、京都近代美術館、京都清水三年坂美術館、名古屋の横山美術館、迎賓館和風別館「遊心亭」などで展示されております。
こうした京焼の改革に苦闘した人々の生きた証しを「京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝ー世界に雄飛した京薩摩の光芒を求めて」(開拓社)としてまとめました。ご興味がありお読みいただけましたら幸いです。
ご参考までに日本大学教授で陶磁器コレクターとしても有名な塩川博義氏がご自分の「カイの家」というブログに「宗兵衛伝」の書評を書いておられるのでご紹介させていただきたいと思います。
開拓社から出版された京都粟田焼窯元錦光山宗兵衛伝である。著者は子孫の錦光山和雄さん。いや~、面白かった!400ページ近くあるが、あっという間に読んでしまった。幕末、明治、そして大正時代の京焼の動向がよく判り、京都市陶磁器試験所は、この時期、色々なものを試しており、京焼にとってなくてはならないものであったことがよく判る。また、著者の和雄さんは証券会社に勤めていた経済の専門家なので、この時期の日本経済との関わりもうまく織り交ぜて書かれており、わかりやすい。おそらく陶磁器にあまり興味がない人でも楽しく読めるのではないだろうか。
基本的に、私は磁器における釉下彩作品のコレクターなので、金彩を多用した陶器における錦光山の作品にはあまり興味はないが、それでも、アールヌーヴォー期における錦光山窯には魅力的なものがある。これを読むと、やはり、私の持っている錦光山の作品はすべて7代の時期に制作されたものと思われる。とにかく、素晴らしい本である。明治から大正期の瀬戸焼についても、だれかうまくまとめてくれないかな。
なお世界的に活躍されている天才的脳機能学者の苫米地英人博士もご推薦してくれています。
「錦光山宗兵衛伝」の目次&口絵
朝日新聞夕刊一面トップの紹介記事
〇プロローグ全文掲載
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