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私だけの流れ星


 この世の殆どの人々が、その小さな画面を注視しながら歩いている。肘を曲げることによって画面と眼球との距離を調整する。すれ違った人も、これからすれ違う人も、みんなそうしている。そうしている人はみんな、時々人や物、車、自転車あるいはガードレールなんかにもぶつかりそうになるのだが、それでもその画面から殆ど目を離そうとしない。

 歩きスマホ、私はこれをすごく不思議に想う。その軽率な行為によって事故、怪我、負傷の可能性が格段に引き上げられているのだが、そのスマホの画面には引き上げられたそのリスクに見合ったものが映っているのだろうか。数分間そこから目を離す、それだけでこれから自分の身におこる事象や事件を回避出来るかもしれないのに。

 ただ、私としてはその方が逆に都合が良かった。街中の全ての人が、その街そのものに目を向けていないこの状況は、好ましい。

 先ほど歩きスマホをあれほど酷評していたにも関わらず、今度は掌を返すように歓迎する。私のこの思考回路は、周りからすれば矛盾しているとしか思えないだろう。しかしこの矛盾の理由は簡単な話である。私は変態なのだ。つまりは、世間一般に向けた表の姿の私は歩きスマホを批判しているが、私だけが持つ私自身の為の裏の姿の私は歩きスマホを歓迎している、という事。

 何を隠そう、露出狂なのだ。それも夜道女性に向けて一対一でチ○コを見せつけていく迷惑タイプの露出狂ではなく、チ○コを露出した姿で外を歩くことで見つかってしまわないかどうかを楽しんでいくスリルタイプ。

 私が露出狂として目覚めたのは、仕事のストレスを一番抱えていた時期だ。何気なくチャックからチ◯コを出して歩いてみると、そのスリルによってとんでもなくストレスが解消され、生きている事を実感していた。この露出狂としての活動は、昔は誰もいない深夜の道をチ○コを出しながら歩くのが精一杯だったのだが、歩きスマホをする人が増えていくにつれて、それも変わっていった。人が視界に入った時はいつも、すぐに電柱等の物陰に隠れたり曲がり角でやり過ごしたりしていた。しかしある時、歩きスマホをしている人が来た。丁度その頃は、このスリルに体が慣れ始めてしまっていたので、つい魔が差して、そのまま隠れずチ○コを出したまますれ違ったのだ。結果は、『特に何も起こらなかった』である。ここで私は気づいた。歩きスマホしている人はこのチ○コに気づかない、と。少しづつ、徐々に人が多い所を歩くように挑戦していき、最終的にはこの駅前の商店街までたどり着いてしまった。みんな歩きスマホをしている。私には誰も気づかないのである。

 私は、今やこの活動を始めた頃とは比べ物にならない程のスリルを実感している。

 チ○コを出している私に気づかないということは、それだけみんなスマホの世界に夢中になっている。ということは『スマホの外側の世界』には私しか存在していないのだ。つまり私は、実質的に世界を征服したと言える。

 みんなもっと目の前のことに気を配らないと、世界を征服されたままになってしまうぞ!

 ……空を見上げると、何故か涙が出てきた。都会の空気も綺麗になったのだろう、昔より少しは星が見えるものである。私は何をやっているのだろう、こんな意味不明な趣味に没頭して。しかし私はこうしないと生きている事を実感できないのだ。家と会社を往復する以外に、何をすればいい。あんな広い家に一人でいたとしても、かえって孤独を感じてしまうだけだ。だから私は、感受性豊かな青少年のように夜の街を練り歩いた。チ○コを出しながら。

 私は仕事に熱中するあまり家族を失った。朝は新聞を読みながら食事をして、昼は株価を調べながら食事をして、夜はニュース番組を見ながら食事をして。それ以外の時間は仕事、通勤、睡眠。私の身勝手が全てを壊したのだ。そして今は、誰かに私を壊してほしいと思っている。私はこのスリルを楽しんでいて、見つかりたくないと思っているくせに、その反面いつか見つかって罰せられることで私を滅ぼしてほしいとも考えている。もう全てがどうでもいいのだ。

 光る画面と共に流れゆく人混み。チ○コを出す私を誰も見ていないし、誰も気づかない。周りに私が見えているのかさえわからない。…いや、彼ら彼女らもまた然り、か。画面を眺めている彼ら彼女らは、自分以外の画面を眺めている彼ら彼女らを見ていない。

 空に流れ星が流れた。それを見ていたのは私だけだった。私は流れ星を独り占めしたのだ。私だけの貴重な体験。しかしそれでも流れ星を見れた嬉しさよりも、私しか見ていないという孤独感の方が余程強く押し寄せているのは、何故だろう。

 私は街に尋ねる。

 なぁみんな、そうやって画面だけ眺めていると、大事なものを見逃してしまわないかい?

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