天保10年9月29日(柏崎日記 現代語訳)

寒風、曇りでした。

学校から帰って、支度して出役しました。昼に加藤為助から仮鍵番の勘定をし、受け取りました。暮合に帰りました。おろくはおとなしくしく、夕方まで遊んでました。

私が留守の間に、志田老之助の奥さん、川澄何右エ門の母、添田伴助の3人がお亡くなりになりました。御陣屋では祭礼には男女とも出ます。

川澄、添田にはお菊も参りました。
もっとも、焼き場まで参加したとお菊が言っていたのは、良くないことです。竹内おばさまの指示なので、しょうがないですが、お菊も嫌なことだと言っています。

人別扶持になりました。ので、お手伝いさんにも暇をやろうかと思っています。

渡部駒之助、大越甚助が26日に閉門が解かれます。渡部は18石のままで当分お勤めなし(番外)で桑名の出入りは自由です。大越も18石のままで同様です。お偉方の御書院格はまた格段のことですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?