天保10年3月14日(桑名日記 現代語訳)

曇り、14時くらいに地震があって、そこから雨。

とにかく、御米が不納で今日も96俵渡し、丈ケ漸が請け取った。

この前の月末に手塚仙次郎の上がり框(かまち)のところに、御文章やら御状台やらが箱に入っていた。なんでも親鸞上人のお授けものだと言うものだから、町家近所から日々大勢参詣があり、家内のものも居所がないくらいだそうな。さい銭は、1日に3万円(1貫4,5百文)から4万円(2貫文)あまりもあるのだと。
隣家のお袋たちも参っているが、内のものはやってない。

あまりに人が多いので仙次郎より下記の通りの書の写しがだされた。御勘定頭衆においても、白黒つけるようなことにならなければいいがと心配している。日々、参詣がおおいので、今日旦那寺に納められた。

届けの写し。
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先月末、12時ごろ役所から帰りまして、すぐに稽古場へ出れるなと思いまして、路次御門外に行きました。
突然、手が重くなり*、宿元に戻ることにしました。
途中、本間常三郎と一緒になりました。西一色まででた際に、行き合う者が足を止め私を見るので、「もしかして服に何かついているか」と思って常三郎に後ろを見てもらいました。が、何もありませんでした。
ところが、お坊さんが通るときにまた、立ち止まるので、さすがに私も不審に思いました。
宿元に帰ると、入り口の上がった段のところに黒塗りの金箔の箱がおいてありました。
母に聞いても、覚えがないと言います。いよいよ不審なことが続くので、母と色々相談しましたが、何もわからず。しょうがないので、箱をあけてみました。
中には御文書が1冊入っていました。新しいモノのようにみえました。
不審なので、常三郎のところにいき、私と帰ったとき、私が何か持ってなかったと聞いてみましたが、何も無かったと言っています。

不思議なことなので、ご報告しておきます。

3月7日 仕出方 手塚仙太郎
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* `手たるく相成`

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